DJ OSSHY J:COMスペシャルフォト・インタビュー

幾度かのムーブメントを経て、第3次ディスコブームといわれている現在。そのムーブメントをけん引しているのは、80年代初頭より一貫してDJとして活躍してきたDJ OSSHY、その人だ。自身の歴史を赤裸々に書き記したエッセイ「ディスコの力」や、ミックスCD「We Love Disco mixed by DJ OSSHY」をリリースした今年。リリース記念として、ビルボードライブ東京初となるライブ&ディスコイベントを成功に導くなど、まさにディスコ・ムーヴメントの真っ只中にいる本人を直撃。世代を超えて愛される一人のDJの、熱き想いに迫る。

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「ディスコDJは、自分で見つけ、初めて自分の意志でやってみたいと思ったこと」

――現在、第3次ディスコブームといわれています。そのきっかけとなったのが、OSSHYさんがDJを務めるインターFMの『RADIO DISCO』でした。

「確かに、ムーブメントの原点ではありますね。番組は’11年にスタートしたんですけど、この頃のクラブカルチャーやディスコカルチャーって、もう80年代や90年代の頃のような昔の不良のイメージが、少しずつではありますが、和らいできていて、ラジオ各局でクラブミュージックをかける番組が増えていたんですよ。でも、そういった番組の放送は全部夜だった。そんな夜の世界観を昼に持ってきたのが『RADIO DISCO』でした。月から金までの帯で、お昼の正午から1時間半。裏は『笑っていいとも』ですよ(笑)」

――今までにはない、斬新な番組ですね。

「なかったですね。しかも、スタジオに機材を入れての生放送。当時の懐かしいディスコスタイルで、MCも入れて、リクエストにも応えた。要は80年代のディスコの店内でプレイしていたイメージをそのままラジオに持ってきたんです。これがものすごい反響だった。80年代に青春を過ごした子育て中の奥様方とか、ネクタイ族の方々とか、ディスコ復活でブームが来ているといっても、夜はなかなか行けないわけですよ。そういう方たちが潜在的にいるところに、『RADIO DISCO』が始まって、『なんだこれは!?』となった。この番組を聞いているとディスコにいる気分になれるとか、そういう皆さんの想いの詰まったメッセージがものすごく届いたんです」

――そこでディスコ人口が一気に増えたと。

「夜は夜でディスコミュージックやクラブミュージックのファンがいて、実は昼帯にもそういった人たちはいたのに、今まで誰も気づかなかった。そういうものが発信できていなかったんですね。なので、この番組を聞いて、ディスコへの想いを蘇らせてくれた人がたくさんいて、単純に2倍くらいにディスコ人口は増えましたね。しかも、『このしゃべっている人ってアナウンサーの押阪忍の息子さんらしいわよ』という話も広がって、『じゃあ安心して聞けるわね』なんてことも思っていただいたみたいで。そういう効果もあって、公共機関をはじめ、羽田空港や東京タワーなどでもイベントをやらせていただくようになったんです」

――そして、TOKYO MXの『Disco Train』が’13年にスタートします。

「現番組プロデューサーが、入院中に毎日エアチェックしてくれていて。『なんだこれは!』と思っていただいたみたいなんですね。そのプロデューサーの退院後の結婚パーティーで、たまたま僕がサプライズでDJをやったんです。そのときに、『OSSHYのおかげで退院できた。俺はずっとこの番組を聞いて元気をもらっていた』とおっしゃっていただいて、そこから『RADIO DISCOをテレビ化したい』と言われたんです。最初は僕も社交辞令というか、夢物語だと思っていたんですが、その方は実際に番組の実現へ向けて動いてくださって、本当に『Disco Train』として番組が始まることになったんです。こちらも反響はすごかった。『いつも聞いてます』『見てます』なんて声をかけられることも増えましたね」

――そこから大きなムーブメントに広がっていくわけですね。それも『RADIO DISCO』や『Disco Train』があったから、そして、OSSHYさんがDJを続けてこられたから、というのが大きい気がします。これまでDJとして、30年以上も第一線で活躍してこられていますが、そのモチベーションはいったいなんでしょうか?

「まずは、80年代初頭に初めてディスコに触れたとき、これが天職だと思ってしまったんですね。実は、ディスコのDJというのは、自分で見つけ、初めて自分の意志でやってみたい、と思ったことだったんです。子供の頃から両親が有名人ということもあって、剣道や習字、ピアノにソロバンと、いろんなことをやらされていたんですね」

――先ほどもお名前が出ましたが、お父様はフリーアナウンサーの押阪忍さん。お母様も栗原アヤ子さんですよね。かなり厳しい家庭環境だったのではないですか?

「両親が厳格だったので、自分としては子供ながらに、ちゃんと生活をしなきゃいけない、という想いが強くあって。その中でも剣道の都大会で優勝したり、それなりの成績を残すことはあったんですが、そこまで達成感はなかった。でも、80年代初頭、高校一年生のときに先輩に初めて連れて行かれたディスコで、DJやDJブースの存在を知ってから、もう目の前がパンッと弾けたような衝撃を受けたんです。『見つけた!!』みたいな感じで。ディスコに行って、何に一番驚いたかというと、曲がノンストップで流れているところだったんです。僕、もともとオーディオが好きで、中学時代に自作のカセットテープを作って仲間に配っていたんですけど、そのときに、曲と曲の間を少しでも縮めようと研究していたんですよ。当時はミキサーなんて持ってなかったから。でも、ディスコでは曲と曲の間なんてものはなくて、ノンストップで曲が絶え間なく流れ続けている。これにはびっくりしましたね。なんでだろうって。そこでDJブースに張り付いて、原理を知るわけです。プレイヤーが2台あって、真ん中にミキサーというものがあって、2つのレコードの間をミキサーが繋いでいるんだと。そこからは、渋谷の『ラ・スカーラ』というお店に学校や部活が終わってから週4日くらいで通いましたね」

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「いつか親に認めてもらいたい、という気持ちでずっとDJをやってきました」

――そこからDJへの道を歩みはじめたわけですね。

「当時のDJって徒弟制度というか、どこかの店の見習いにならなければならなかった。職人の世界と一緒ですよね。で、『ラ・スカーラ』のチーフDJに、『興味あるなら1件空きがあるから紹介するけど、相当厳しいぞ』って声をかけてもらって。でも嫌々ながらも剣道を8年間続けていたので、根性には自信があった。そこで『キャンディ・キャンディ』というお店を紹介してもらって、そこからはDJの修行ですよね。今は一億総DJみたいな時代ですけど、当時はDJといえば雲の上の存在でしょ。本当に狭き門で、みんなの憧れだったんですよ。だからすごくモテるんですけど、そういう動機で入ってくる人はみんなすぐに辞めてしまいましたね。仕事は選曲ノートを延々と書いたり、掃除をしたり、先輩のお世話をしたり、あまりにも地味で厳しいものだったし、見習いは人扱いされませんからね。でも僕は全然きつくなかった。DJブース自体が僕にとっての聖域みたいな場所だったので、そこに身を置けることに興奮したし、DJそのものにもすごく魅力があった。そして1年弱、見習いを続けて、ようやく正式なDJの枠の中に入れてもらえるようになったんです」

――高校一年でディスコに初めて触れ、そこから一気にハマってしまったわけですね。そのときのお父様はどんな反応をされていましたか?

「当時の80年代のディスコは不良の遊び場とか、夜のたまり場というイメージがすごく強かった。’78年に公開された映画『サタデー・ナイト・フィーバー』でディスコは市民権を得たなんて言われてましたけど、あくまでディスコというものが認知されただけで、それが良いものだとは誰も思っていなかった。健全で安全というイメージからはかけ離れたものでした。なので、もう両親は大反対。卒倒しそうな勢いでしたよ、本当に寝込むくらいの。ましてや父も母も公人というか、昼の世界の人たちですから。『私たちがどんな仕事をしていると思っているんですか!!』みたいな。遊びに行くのすらNGなのに、そこで僕が働くと言っているわけですから。それまで、僕は親の顔に泥を塗るようなことはしてこなかったと思うんです。言われたことをきちんとやる、良い子供だった。それが世間では不良と呼ばれていたり、ましては生活の保障も安定もなくて、職安で認められてもいない職業になりたいと言い出した。それはもう両親にとって、かなりの衝撃だったと思うんですよ。でも、DJは、選曲や音楽の知識、感性、ミキシングの仕方次第で、人々に感動を与えることができる仕事だし、すごく誇りを持てる仕事だと思ったんですね。ましてや、僕が初めて自分で選んだもの。そういったこともあって、ディスコDJとして腕を上げたいという想いと同時に、いつか親に認めてもらいたい、という気持ちでずっとDJをやってきました」

――OSSHYさんはディスコ=不良という従来のイメージを払拭することにも力を注いでいますね。

「僕らの親世代はそういうイメージでこびりついちゃっていますからね。だから、ずっと親との戦いというのが僕の根底にはあるんです。どうにか認めてもらいたい、認めさせたい、というのがあって、それがエネルギーになっている。もちろん、一方で不良だからこそ面白いとか、危険なほど楽しい、というのはあるじゃないですか。そういう魅力というのもディスコには絶対に必要だと思うんですね。ただ、その市場を広げる上で、僕は健全な世界だということをPRする役どころなんじゃないかと思うんです」

――そういう意味では80年代と今ではだいぶイメージも変わってきていると思うのですが。

「そうですね。80年代は若い人たちの遊び場といえばディスコかボーリング場だったんです。『サタデー・ナイト・フィーバー』でディスコが知られ、それを全国に広めたのが『マハラジャ』だった。当時は思春期の男女の出会う場も限られていたので、みんなディスコに行っていた。今の40~60代の人で、80年代にディスコへ行ったことない人って少ないと思うんですよ。行ったけどあんまり好きじゃないと思った人はいるかもしれないけど、行ってない人は滅多にいない。90年代以降は、カラオケボックスやゲームセンターとかが出来てきて、遊びが分散化してしまう。今はさらにスマホも加わって、さらに細かくなっていっていますよね。音楽もそうなんです。当時のディスコは本当に音楽の総合デパートみたいなもので、ロック、ソウル、ダンス、レゲエと、さまざまな音楽のジャンルが1日のお店の中で全部かかるんですよ。それが90年代に入ると、専門店化してくる。ロックだけの店とか、ヒップホップだけかかる店などがどんどん出てくる。それが90年代のクラブカルチャーの分岐だと思うんですよね。僕も’89年くらいからブラックミュージックのほうに行ってしまっていた。ニュージャックスウィングとかブラックコンテンポラリーとか言われていて、後にそれがR&Bという言葉になるんだけど。だから、90年代に出会った人なんかは僕のことをR&BのDJだと思っている。大箱の総合デパートのDJだということは知らないんです」

「2020年の東京オリンピック・パラリンピックをディスコでサポートしたい」

――80年代のディスコシーンは多様性があったんですね。

「だから80年代を良く知る人たちが集まると、みんな当時の曲で踊っていた共通体験があるから、今、同じ曲をかけても盛り上がれるんですよね。曲によって振り付けやステップとかも決まっていて、それが150種類くらいあるんですよ。そういうことを当時の人たちは皆、普通にやっていた。そういう一体感を感じるのが楽しいというのはあると思うんですよね。昔と今で、圧倒的に違うのは、親子二世代がダンスフロアで楽しめる時代になってきたってことですかね。80年代に20代だった人たちが今、55~60歳くらいになっていて、その息子さんや娘さんが大学生や20歳くらい。それで、ディスコ復活ってなったときに、当時のリアルディスコ世代の人たちが自分の子供たちも連れてくるんですよ。20代の若者と50、60代の人が一緒にディスコ音楽を聞いて踊っている。これは昔じゃ考えられないし、圧倒的に違うところですね。音楽にしても80s’ディスコというくくりでかけているものの、そこには40年間の歴史が生じているわけですよね。80年代から今に至るまで、いろいろな音楽が生まれて、その過程でプロデューサーやミュージシャンが昔の音をサンプリングしたり、リメイクしたりして、80年代の曲と2000年代の曲を一緒に繋いだりとかしている。曲の年代に対する違和感がすごくなくなってきている。だから、今の最新の曲と昔の曲が同居している状況ができてくる。それがすごく面白い」

――今年の10月にリリースされた「We Love Disco mixed by DJ OSSHY」も、さまざまな年代の曲が収録されていますね。

「まさに、その状況をCDで具現化したかったんです。40年間の時空を超えて、違和感のない選曲をしたかった。このCDには80年代の、それこそソウルミュージック、R&B、ロック、ニューウェーブといったくくりの曲から、今のEDMとか、今のR&Bとか、この29曲の中に、ほとんどのジャンルが入っている。プレイリストだけ見ると、29曲で全ジャンルなんて、どう考えてもグチャグチャじゃないの、なんて思われるかもしれない。でも耳で聞いていただくと、たぶんスムーズに行くと思うんですよ。DJ的には、どういうふうに繋がっていくか、どう入ってどう終わるかという、そこのミキシングに時間をかけていますから」

――もちろん全ての曲の繋がりを考えられていると思うんですが、特にアルバムの中の、ここの繋がりに注目してほしいというのはありますか?

「例えば2トラック目の『SPICE OF LIFE / The Manhattan Transfer』から3トラック目の『OOO LA LA / Robin Thick』への繋がりなんかは、自分の中では温故知新の40年間の時空を違和感なく繋げている例の一つではあるんですよね。The Manhattan Transferのは’83年の曲なんですけど、Robin Thickのは2010年代の曲なんです。まさに最近の曲。でもこんな30年も離れているのに、並べてミックスしてもなんだかスムーズに聞こえるという時代になっているんです。今回のCDにはそういうところが随所にある。後半では14トラック目の『TRUE FAITH (SHEP PETTIBONE REMIX) / New Order』と15トラック目の『GO / The Chemical Brothers』とかもそうですよね。New Orderのこの曲は80年代の曲で、The Chemical Brothersは2010年代。あとは、『LET'S ROCK 'N' ROLL / ATLANTIC STARR』から『SUGAR / MAROON 5』への繋がりも’79年と’14年という時空を超えた繋がりですよね」

――まさに音楽の時空を超えた一つの流れを表現しているわけですね。

「だから、僕は放送とかでもよく言うんですけど、できるだけ通して聞いてほしいんです。途中で切ってしまうと、意図が伝わらない。全体で起承転結が作られているので、80分間通して聞くことで、それは感じていただけると思います。イメージとしてはディスコで1時間ちょっと踊り倒していただく感じですね」

――アルバムはAmazonランキングで1位に輝くなど、確かな結果を残しています。

「これまでたくさんのミックスCDを手がけてきたんですけど、今までで一番と言っていいくらい、反響をいただいています。それは、聞く側も成長しているというのがあるからかもしれませんね。それまで’82年くらいまでの音オンリーだったんですけど、ここ数年、いろんな音を入れるようになってきていて、それをやり続けているうちに、お客さんのほうにも耳が慣れてきたというか、そういう新旧のミックスを受け入れる体勢ができてきたんじゃないかと思うんですよね。ディスコって結局、お客さんのもので、ディスコDJの評価基準って、どれだけお客さんを踊らせたかってことなんです。どんなにカッコイイ選曲していても結局踊ってもらえなきゃダメ。だから、違和感のないオールミックスが受け入れられているという現状はすごくうれしいですね」

――それでは、今後の目標を教えてください。

「身近な目標としては、2020年の東京オリンピック・パラリンピックをディスコでサポートしたいというのがあります。開催地が東京に決定した直後から言っているんですけど、2020年には東京に世界各国のアスリートや応援団がやってきますよね。そんな中で過酷な試合の後は、リラックスしたい、癒やされたいみたいな瞬間があると思うんです。そのときに、ディスコミュージックで発散できるような場って、きっとできると思うんですよ。そういった中で、何かしらの関わりを持っていけたらいいですよね。あと、これは先ほどの父の話にもなるんですけど、1964年の東京オリンピックのときに、『東洋の魔女』といわれた日本女子バレーの試合の実況を担当したのが父だったんです。親子二代で、バトンを渡すじゃないですけど、何かしらそういう繋がりができればいいなと思っています」

――OSSHYさんのお話を伺い、オリンピックはもちろん、ディスコにはさまざまな可能性が詰まっていると感じました。

「先ほどのプロデューサーの話じゃないですけど、ディスコミュージックって、本当に病気すらも治してしまう、人々に元気と笑顔を与える最高の万能薬だと思っているんです。なんか自然に踊り出したくなってしまうような、そういうエネルギーがある。次なるトライアルとしては高齢者向けディスコや障がい者向けディスコなど、そういう方たちの間口を広げることもやっていきたいです。一つの振り付けをみんなで踊るのって、すごい楽しいんです。ディスコはみんながそれぞれアイデンティティを持って、アピールできる場、自分が主役になれるチャンスのある場所。国籍とか性別とか職歴とか学歴とか、そんなものは全く関係ない。全く無意味。ダンスフロアでは皆が平等なんです。それってとても尊いことなんです。そういったことも含めて、これからもディスコというものを、もっともっと広げていきたいですね」

撮影:渡部孝弘
取材・文:山口智弘
撮影協力: ビルボードライブ東京

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ミックスCD「We Love Disco mixed by DJ OSSHY」

INFORMATION

アラフォー、アラフィフ世代の「80′sディスコ・ムーヴメント」のパイオニア。
DISCO、R&B、DJのスペシャリスト、DJ OSSHYによる最新MIX CD。 Discoのヒット曲はもちろん、EDMまでも取り入れた、踊れるノンストップ・ミックス!

価格: 2,484円(税込)
レーベル: ユニバーサルミュージック

[収録曲]

  1. 01. SHALAMAR / A NIGHT TO REMEMBER
  2. 02. MANHATTAN TRANSFER / SPICE OF LIFE
  3. 03. ROBIN THICKE / OOO LA LA
  4. 04. JODY WATLEY / REAL LOVE (EXTENDED VERSION)
  5. 05. SHAKATAK / DOWN ON THE STREET (DANCE MIX)
  6. 06. LEVEL 42 / CHILDREN SAY
  7. 07. CULTURE CLUB / TIME (CLOCK OF THE HEART)
  8. 08. SWING OUT SISTER / WAITING GAME
  9. 09. OLLIE AND JERRY / BREAKIN'...THERE'S NO STOPPING US
  10. 10. JELLYBEAN / SIDEWALK TALK
  11. 11. KOOL & THE GANG / STRAIGHT AHEAD
  12. 12. GIORGIO MORODER / RIGHT HERE, RIGHT NOW feat. KYLIE MINOGUE
  13. 13. JOHNNY HATES JAZZ / SHATTERED DREAMS (12" EXTENDED MIX)
  14. 14. NEW ORDER / TRUE FAITH (SHEP PETTIBONE REMIX)
  15. 15. THE CHEMICAL BROTHERS / GO
  16. 16. CON FUNK SHUN / BAD LADY
  17. 17. KLIQUE / I THINK YOU KNOW
  18. 18. PEACHES & HERB / THE LOVE STEALERS
  19. 19. THE FOUR TOPS / LET ME SET YOU FREE
  20. 20. PABLO CRUISE / I WANT YOU TONIGHT
  21. 21. ATLANTIC STARR / (LET'S) ROCK 'N' ROLL
  22. 22. MAROON 5 / SUGAR
  23. 23. ZEDD / ADDICTED TO A MEMORY feat. BAHARI
  24. 24. ARIANA GRANDE / BREAK FREE feat. ZEDD
  25. 25. AFROJACK feat. MIKE TAYLOR / SUMMERTHING! (EXTENDED VERSION)
  26. 26. GTS feat. Melodie Sexton / The Greatest Love Of All (Groove That Soul Mix)
  27. 27. THE STYLE COUNCIL / MY EVER CHANGING MOODS (LONG VERSION)
  28. 28. SPANDAU BALLET / GOLD (12'' MIX)
  29. 29. JODY WATLEY / EVERYTHING

エッセイ「ディスコの力」(PHP研究所)

INFORMATION

DJ OSSHY 初の書き下ろし・エッセイ

今なぜディスコが人々を魅了するのか?
平成ディスコ・ムーヴメントのパイオニア、
“DJ OSSHY”がその秘密を語り尽くす。

定価: 本体1,400円(税別)
発行所: 株式会社PHP研究所

お買い求めは、全国の書店、ネット書店等で購入できます。

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