文=毎日放送『情熱大陸』プロデューサー 福岡元啓
2014/11/21掲載
受け答えに垣間見えた現代の肖像
©毎日放送
ゴールデンボンバーがそうした存在であるように、番組も型にはまることなく柔軟に作りたかった僕は、『情熱大陸』を作ったことのない30代の若手ディレクターを起用した。眼鏡で短髪の黒髪、ぽっちゃり体型といった、およそビジュアル系バンドとは程遠い風体のディレクターくんが、思い切って鬼龍院にした質問がある。
2年連続、紅白出場が決まった去年(2013年)の大晦日。
鬼龍院は、いつものようにサングラスにマスク姿で、僕たちの前に現れた。機嫌がいいのか悪いのか、これでは表情から伺い知ることができない。だがこの日、どうしても聞きたいことがあった。披露するのは「女々しくて」。1年前と同じ曲だったからだ。
同じ曲で出場することについて彼はどう思っているのだろうか。
会場に向かう車の中で、その質問をぶつけると、組んだ手のひらの指を少しもじもじさせながら、しばしの間のあと、はっきりと彼はこうこたえた。
「うーん…出られることはありがたいので、でも出来る事なら大ヒット曲があれば別の曲になるわけですから」
そしてこう続けた。
「僕の力不足です」
印象深いシーンだった。イメージ重視のミュージシャンは、こうした質問に虚勢をはったり、はぐらかしたり、はたまた傍にいるマネージャーが「今の質問はなしで」と言ってくるのが常套だ。けれど、そんな姿勢はかえってイメージダウンになる。
このインタビューのとき、鬼龍院の眼差しがきちんとまっすぐ前を向いていたのは、ティアドロップの濃いサングラス越しからでも伝わってきた。
彼らが歩んできた“個”が問われる現代に、周囲が作り上げるイメージで乗り越えられるほど世間は甘くない。正直な答えができるのもまた、彼をはじめとするゴールデンボンバーが、個人発信で生き延びてきた証しだろう。
鬼龍院は言い切る。100組バンドがあって99組が格好よかったら、格好悪いバンド1組が目立つ。と。
格好悪くったって、自分たちが面白ければそれでいいわけだ。
“個”として生きる、ということ
情熱大陸・鬼龍院翔の回は、今年(2014年)の第一回目の放送を飾った。
新年1回目の放送内容はその年の番組全体の決意表明でもある。その最後で、鬼龍院に新年の抱負を書いてもらった。
いつも、彼が作詞のときにノート代わりに利用するマクドナルドのお手拭きに、筆ペンで。そんな頼み事をしたディレクターに、笑いながらこたえてくれた鬼龍院。その薄っぺらな紙には、“目の前のことを精一杯がんばる”と書かれていた。
「シンプルだけどごちゃごちゃいわずに目の前のことを精一杯頑張る。一番大事だと思いますよ」
その日、その日の積み重ねが、今から未来へと繋がってゆく。
彼らしい言葉だった。
最後の最後に、今年も芸能界で生き残っていけるか、と聞いてみた。
「テレビ業界はわかりません。でもゴールデンボンバーとしては生き残りますよ。たくましく」
“個”として生きる術を身につけた者は、いつの時代もたくましい。
コラム作者プロフィール
福岡元啓
1974年 東京都出身
1998年 毎日放送入社
毎日放送『情熱大陸』(TBS系列で毎週日曜よる11時~11時30分に放送中)プロデューサー。
報道局時代に街頭募金の詐欺集団を追った「追跡! 謎の募金集団」や、日本百貨店協会が物産展の基準作りをするきっかけとなった「北海道物産展の偽業者を暴く」特集がギャラクシー賞に選出。2010年秋より『情熱大陸』5代目プロデューサーに就任し、東日本大震災直後のラジオパーソナリティを追った「小島慶子篇」、番組初の生放送に挑戦した「石巻日日新聞篇」でギャラクシー月間賞。水中表現家の「二木あい篇」でドイツ・ワールドメディアフェスティバル金賞受賞。「猪子寿之篇」でニューヨークフェスティバル2014入賞。著書に「情熱の伝え方」(双葉社)。
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ドキュメンタリー番組『情熱大陸』は、スポーツ、演劇、音楽、学術など様々な分野の第一線で活躍する人物にスポットを当て、密着取材により魅力・素顔に迫る番組です。1998年に開始してから放送は800回を超え、今や国民的ドキュメンタリー番組になっています。
毎日放送『情熱大陸』
毎週日曜、よる11時~TBS系列にて放送中!!
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