女性から高い支持を得ている柚木麻子の恋愛小説を、廣木隆一監督がメガホンを取り実写映画化した『伊藤くんA to E』。自意識過剰で無神経な男・伊藤くんに翻弄される女たちを描いた本作で、木村文乃は伊藤くんに振り回される女たちに毒づきながら、自らもその渦中に巻き込まれてしまう脚本家の矢崎莉桜を演じている。腹黒でしたたかな“毒女”役に、彼女はどのように挑んだのだろうか。
――今回の作品はドラマと映画で少し視点の違う描き方がされていると聞きました。映画の莉桜を演じるにあたって、何か意識されたことはありますか?
「ドラマは莉桜の目線で毒づきながら描いていたので、そう演じていたのですが、映画では莉桜も“Eの女”として伊藤くんに振り回されてしまう。彼の術中にハマってしまうようなところがあるので、映画ではそういう無様さが出せればいいなと思いながら演じていました。莉桜を演じるにあたって、そんなに役を作り込む以上に、監督の廣木さんの言うことにどれだけ応えられるか…廣木さんの思う人物の気持ちの流れを出来る限り作っていきたいと考えていました」
――廣木監督は粘りのある演出が良く知られていますが、今回もクライマックスは長回しが10分もあったそうですね。
「なぜ長回しをするのか聞いたことはないんですけど、その印象は強いですね。そのほかにも、大きな四角い階段をぐるぐると下りながら会話するシーンがあるんですけど、この場所の場合、そういう撮り方はあまりやらないものだと思います。たぶん、廣木さんがあの場所を見て“ここで、こんなふうにやろう”って感じられたと思います。そういう動きのある撮り方は廣木さんならではだな、と思います。動きながら撮るということは、カメラマンは階段を後ろ向きで、あの速さで移動しながら撮るということなんです。あの重いカメラを持って。現場のスタッフも、廣木さんのために撮るんだという熱意があるんですよね」
――廣木監督のために、という意識が演者にもスタッフにも強くあるからこそ、粘りのある演出が成立するんですね。その粘りの中で、役がどんどん作り上げられる感じでしょうか?
「何度もやっていく中で、道が開けていくパターンと迷路に迷い込むパターンとがあると思うんですが…私は明確に迷い込むパターン(笑)。10分ワンカットのシーンがあるんですが、その中で1ヵ所だけもう一度撮りなおすことになったんです。でも私はその時、迷路の中にいて…。そしたら、それまで“ほら、泣けよ(笑)”とか言っていた廣木さんが『いいよ、好きにやって』って。それだけ言って戻っていかれたんです。そしたら急に、気持ちが見つかったんですよ。ここにいた、って。そこがOKカットになりました。そういうことは廣木さんの現場では割とありますね」
――演じてみて、莉桜はどのような女性だと感じてらっしゃいますか?
「不器用ですよね。明言しない人間が一番タチが悪いな、とはこの作品をやっていて思いました。伊藤くんなんかは、傷つきたくないからと最初から割り切ってやっているからすごくわかりやすいんです。でも、莉桜は『私、そんなことないの』って言いながら、そんなことある人です。そういう人が一番、扱いにくいなって」
――確かに、とらえどころがないですよね。演じるうえでも難しい部分があったんじゃないでしょうか。
「やっていて、これは莉桜じゃないと思ってしまった時もあるんです。あるシーンで、脚本仲間のクズケンの言葉で、元カレだったプロデューサーの田村さんの真意に莉桜が気づく場面があるんですけど、その時、莉桜の目の前には田村さんと一緒に作ってきた作品たちのポスターやトロフィーが並んでいて。そこだけは、キレイにしてあるんですね。莉桜は勝手に人を信じなくなって、過去の栄光にすがって生きていたけれど、信じて待っていた人がいたんだと思っただけで泣けてきてしまったんです。台本には全然、泣くとかそんなこと書いていないんです。でも、廣木さんはそれを黙って撮っていてくれて。カットがかかったら『自然に気持ちが出たじゃん』ってニヤニヤしてましたけど(笑)」
――ただ、ご自身としては迷いもあった。
「果たして、莉桜としてはあそこで泣いてしまってよかったのかという気持ちは少しあったんです。でも廣木さんが『文乃が考えている莉桜像でいてくれた』というようなニュアンスのことを言ってくださっていて、廣木さんがそう言ってくださるならいいかと思えました(笑)」
――映画の中で印象に残っているシーンはありますか?
「映画のシーンの中にバスタブが象徴的に出てくるんですけど、この“バスタブ”は私も持っているなと感じましたね。莉桜としても、私自身としても、バスタブの中身をきちんと見られたらいいな、と思いながら演じていました。ここ数年、本当に選択と決断が多くなってきたんです。女性の30代っていろいろなことを決めなきゃいけないし、進む道を決めなきゃいけない。だから…バスタブに封印しなきゃいけないもの、たくさんありますね(笑)。でも、無くせないものだし、無くしちゃいけないものだし。いつか莉桜みたいに、バスタブの蓋を開けて“これで良かった”と思えたらいいな。今はまだ、わからないですけど」
――ご自身が頑張るためにバスタブに入れて蓋をしてきたもの、たくさんありますか?
「溢れるくらいというか、多分バスタブがいっぱいあります(笑)。でも、今のところ開けなきゃよかった、と思うようなことは一度もなかった。こういう仕事をしていると、過去の自分が明確に残っているんですよね。それを見て“ひー!”ってなることもありますけど(笑)、忘れていた気持ちがそこに確かに残っていることもあるんです」
――岡田将生さんが演じる伊藤くんは、モンスター級の“痛男”ですが、木村さんはこういう男性をどう思いますか?
「嫌とか好きとか考えた時点で疲れちゃうから、この人はこういう人なんだって流しちゃう(笑)。だから、あまり人に対していろいろ思うことはあまりないんです。きっといるんだと思うんですけど、あまり気にしていないんですよね(笑)。でも、多分、私は伊藤くんみたいな人にハマっちゃうタイプ。伊藤くんの魅力って“曖昧さ”なんですよ。好きとか嫌いとかはっきり言わない。さっきまで居たと思ったら急に離れちゃうから、余計に追いかけたくなっちゃうとか。そういうのって、頑張って働いたりしている女性であればあるほど、陥りやすいと思うんです。好きなの?嫌いなの? うーん、って何!?って(笑)。だから世の中に割といると思います、伊藤くん」
――では、木村さんは伊藤くんみたいな男性が現れても、術中にはハマらない?
「きっとハマるタイプです(笑)。途中で気が付いて、抜け出せると思うんですけど。ダメな人はいろいろとしてあげたくなってしまう。A~Eの女性、全部の要素を私は持っているなと思いました。30年の人生で全部経験しているなと(笑)。恋愛だけじゃなくて人の感情として、相手が大人だったり、親だったり…そういう人たちとA~Eを経験してきた気がします。だから、作品としては伊藤くんはクズだと言われちゃいますけど、私は言えないかな。もちろん、莉桜として向き合っているときは、本当にコイツは!!と思っているんですけど(笑)」
――莉桜は莉桜でかなりの“毒女”ですからね(笑)。木村さんには莉桜のような毒はあったりしますか?
「自分に毒が無いとは、言えないですね。何かあったら明確に言っちゃうこともあります。そこを変に美化はしたくないんです。『私、そういうこと言わないんです…』とか、すごく伊藤くんっぽいですよね(笑)。でも、毒に囚われたくはないし、毒づくことのない環境を作れるように、とは大人になって考えられるようになりました。私にとっては挑戦的な役でしたけど、いろいろな人から『いやE(莉桜)の要素めちゃくちゃ持ってるよ』って突っ込まれました。ただ私だけが知らなかったという。無自覚でした(笑)」
――今回の作品は“痛男”“毒女”だけでなく、みんな割とダメな人ばかりですよね。
「確かに、映画に出てきた女性たちは、伊藤くんに出会わなければダメのお手本みたいな人だったと思います。でも、伊藤くんに出会ったことで、一番つらい“自分と向き合う”ことをしているんですね。だから、それはそれでアリなんじゃないかなと思います。人生で一度、そういうタイミングは必要なんじゃないかと。自分と向き合った先は崖かもしれないし、先が見えないから怖い。でも、崖じゃないことのほうが多いし、私自身もそう思っています」
――嫌な人やダメな人のオンパレードなのに、鑑賞後の印象が何故かさわやかなのは、全員、結局は伊藤くんによって前向きになれているからなんですよね。
「そうなんですよ。なんか悔しいですよね(笑)。そういう意味で、クズケンは伊藤くんにはなれないんですよ。クズケンってみんなに優しくって、だから誰も幸せにできない。伊藤くんみたいに、みんな嫌いで自分が大好きなんだ、と言われたらいっそ踏ん切りもつくんですよ。だから、彼女たちが変わるにはやっぱり伊藤くんじゃなきゃダメだったんだと思います」
――伊藤くんと莉桜は対立の構造ではありますけど、途中でこの2人は実は似た者同士なんじゃないかと思えてきたんですよね。
「廣木さんは最初からずっと、莉桜と伊藤くんは姉と弟であってほしいとおっしゃっていました。同じ職を目指す2人として、そこはケンカしてほしくないと。分かりあっている部分もあるんです。だから、2人の会話のシーンも対決じゃなくて、先輩としてわかる部分がある、後輩として食らいついていく部分があるようにしたかった。なので、そう映っていたら嬉しいですね」
――莉桜にとっては、どん底からの再生の話でもあります。木村さんは落ち込んだりした時から起き上がるために、どんなことをされてますか?
「結局は、やるしかない。気持ちが落ちないように、何かをやるというわけでもないので、落ちるときは一旦、落ち切るしかないんだと思います(笑)。でも、上がってくるときには自力で上がってくるんじゃなくて…いろいろな人の想いが歯車を回してくれるような感覚になる。莉桜が信じてくれていた人に気付いて頑張れるようになったことって、私が今の事務所に移ってからの気持ちと本当によく似ていて。私はかつては、人が嫌いです、近寄ってくれるな、というような子だったのが(笑)、初めて大人を信じることができるようになってお仕事もいただけるようになっていって…。そういうことに気付けたのは、私の20代後半の大きな収穫だったと思います」
――木村さんが普段、女優として心がけていることはありますか?
「自然とそうなっちゃったんで、心がけとかもそんなにないんですけど…。人としても、演じる人としても、今日より明日のほうがいい自分でいたいとは思っています。どこかで1歩下がってしまうこともあるんだから、2歩進んでおかないと、みたいなことは考えちゃいますね(笑)。自分のできること、できないことが認識できてきたから、できることで挽回しておこうと考えるようになりましたね。できないところは、あとからついてくればいい。もちろん、できないところも疎かにはできないですけどね。荷物を引っ張る様に、できないところも一緒に引っ張り上げられたら。そうやって、これからもやっていければと思いますね」
撮影:渡部孝弘
ヘアメイク:保坂ユミ(eclat)
スタイリング:藤井享子
取材・文:宮崎新之
2018年1月12日(金)全国公開
落ち目の脚本家・矢崎莉桜は、“伊藤”という男について悩む【A】~【D】4人の女たちの切実な恋愛相談を、新作脚本のネタにしようと企んでいる。心の中で毒づきながら「もっと無様に」なるよう巧みに女たちを誘導、そんな莉桜の前に“伊藤”が現れる。“伊藤”は莉桜が主宰するシナリオスクールの生徒。中身が無く、いつも口先だけの彼が、なぜか莉桜と同じ4人の女たちについての脚本を書いていたのだ。しかもそこには、莉桜のネタにはない5人目【E】の女が存在し…。“伊藤”の狙いは一体何なのか―。莉桜は徐々に追い詰められていく。
出演:岡田将生 木村文乃 / 佐々木希 志田未来 池田エライザ 夏帆 / 田口トモロヲ・中村倫也 田中 圭
監督:廣木隆一 原作:柚木麻子「伊藤くん A to E」(幻冬舎文庫) 脚本:青塚美穂 音楽:遠藤浩二
主題歌:androp「Joker」 (image world) 配給:ショウゲート
©2016 RANMARUとゆかいな仲間たち
©2016 「スキャナー」製作委員会
©2015 ジョージ朝倉/祥伝社/
「ピース オブ ケイク」製作委員会