泉秀樹の歴史を歩く

泉秀樹の歴史を歩く

2019年度傑作選【2020年3月】

ナビゲーター:作家・泉秀樹

ナビゲーター:作家・泉秀樹

乱世を生き抜いた歴史上の人物と事件にスポットを当て、彼らがどのような生き方を選び、どのような終焉を迎えたのかまでを、歴史作家・泉秀樹の独自の視点でプロファイルして見せる当番組。3月は2019年度に放送した中から特に人気の高かった4本を厳選して再放送いたします。

第1週 桜田門外ノ変と女たち

彦根城

彦根城

※放送期間(3/1~8)
その雪の日、浪士たちは大老・井伊直弼を襲撃した。浪士たちはなぜ暗殺を計画したのか?日本の命運が賭けられたその雪の日には、どんな意味があったのか?そしてその襲撃に関係した女性たちの運命を追う。
直弼の命を受け攘夷派の動きを密かに探っていた女性がいた。村山たかである。大老・直弼と、その特別補佐官である長野と、密偵のたか。このトリオによって、勤王倒幕派が一挙に捕縛された。梅田雲兵、頼三樹三郎から、水戸斉昭、松平春嶽まで弾圧された「安政の大獄」である。自分を愛した2人の男の死を、たかは潜居していた京都・壬生(みぶ)村の八百屋で聞いた、といわれる。
一方、襲撃グループにも女たちの物語があった。その女とは、直弼の首を取った有村次左衛門の母・蓮である。

第2週 大坂城と豊臣家・その滅びへの道

家康が非難した方広寺の鐘銘

家康が非難した方広寺の鐘銘

※放送期間(3/9~15)
日本最大の要塞・大坂城を家康はどう攻略したか?秀吉と淀君の子・秀頼はなぜ滅んでいったのか?その戦国の悲劇の核を見つめ、解析する。
秀吉はもはや世継ぎに恵まれることはなかろうと、関白の座を甥の秀次に譲ってしまっていた。そして、朝鮮征伐と明国平定を企てて30万を越える将兵を動員し、すでに侵攻を開始していた。そこに思いもよらず淀君が妊娠し、秀頼が生まれた。正室の北政所に子がなく、鶴松の死の2年後に誕生した秀頼に、57歳の秀吉はあられもなく狂喜した。
慶長5年(1600)家康は会津(福島県)の上杉景勝に謀反の意思ありとして、これを討つために東上した。家康の大義名分は秀頼のために戦う、ということであったが、同時にその最終目的は秀頼を亡き者にし、豊臣家をつぶすことであった。

第3週 小西行長の野望

小西行長

小西行長

※放送期間(3/16~22)
大阪・堺で薬種商人の家に生まれた小西行長の生涯は謎にみちている。わずかに残された断片的な史料が人生のさまざまな局面における苦悩と選択をまざまざと語りかけてくる。日本と朝鮮二つの国に挟まれて、商人でありながら武人として生き、関ヶ原の合戦で敗れ悲劇的な死を迎えた男の生涯を追う。
天正七年(1579)9月、信長配下にあった秀吉が毛利を屈服させるために岡山に進撃したとき、21歳の行長が宇喜多直家の講和の使者をつとめ、武将として歴史の檜舞台に登場する。
文禄元年(1592)1月、秀吉はついに武将たちに朝鮮出兵の命令を下した。しかし行長は一日も早く戦争を終わらせたいと考えていた。秀吉の部下であることをやめて、おのれの野望(「九州の王」になること)の実現に生きる決意をしたのだ。

第4週 流浪の将軍・足利義昭の陰謀

足利義昭

足利義昭

※放送期間(3/23~30)
「流浪の将軍」といわれた室町幕府15代にして最後の将軍・足利義昭。天才・信長を倒すために陰謀と策略と密計に生きた義昭は、なにをたくらみ、どう餌を撒き、誰をそそのかし、どんな罠を仕掛けたのか?
永禄11(1568)年7月、義昭は岐阜の信長の庇護下に入った。信長は2か月後の9月に6万の精鋭を率いて上洛を果たし、三好一党の傀儡であった14代将軍・義栄は阿波(徳島)へ逃亡し、いよいよ義昭が15代将軍の座に就く時が来た。
二条御所が完成して、すっかり自分の手で幕府を再興させたと思いこんでしまった義昭は、越後・上杉氏や周防・毛利氏、豊後・大友氏などに御内書を送ったりした。しかし、このような義昭の行動に信長は不快感を抱き、警戒心を強めた。義昭もまた信長の傀儡政権であったのだ。

過去の放送はこちら

J:COMへのお申し込み

Copyright (c) JCOM Co., Ltd. All Rights Reserved.

J:COM

Copyright (c) JCOM Co., Ltd. All Rights Reserved.
ケーブルインターネットZAQのキャラクター「ざっくぅ」