泉秀樹の歴史を歩く

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「江の島物語」怪僧!文覚(前編)・弁天小僧(後編)【2021年5月】

赤穂浪士

5月前編は、平家物語に描かれた怪僧!文覚!
平家に立ち向かい、源氏の世を招き、湘南へ弁天様を連れてきた男。

後編は、鎌倉や江の島を舞台にくり広げるならず者たちの痛快ストーリー『白浪五人男』をお送りします。
「知らざあ言って聞かせやしょう」と啖呵を切る美青年、弁天小僧菊之助。
激動の幕末、民衆は、なぜ、江戸のアウトローに共感したのか!?

文覚 第一章

第1章

文覚は神護寺(じんごじ)復興のため承安三年(一一七三)四月二十九日、勧進帳(かんじんちょう)を持って
後白河法皇のいた法住寺殿(京都市)へ赴いた。
そのとき、後白河法皇は、今様(いまよう)(現代でいう歌謡曲)を楽しみながら宴の最中だった。
そこへ、物乞いのような格好の文覚が侵入し、
「千石を生み出す領地をくれ」と強訴した。
後白河法皇がダメだというと、悪口雑言をならべたてた。
当然、後白河法皇は激怒し、警護していた北面の武士たちは、文覚を袋叩きにした。
そして、この罪で文覚は、伊豆へ流された。

文覚 第二章

第2章

流された伊豆で文覚は源頼朝と出会った。
文覚は頼朝と密議を繰り返しながら、打倒平家の下工作に関東各地を奔走した。
そして文覚の仲介によって頼朝は多くの板東武士(ばんどうぶし)の支持を得ることができたのだった。
平清盛が、熱病で死に勢いづいた頼朝が旗揚げして二年後の寿永元年(一一八二)四月五日、
文覚はみずから、琵琶湖・竹生島(ちくぶしま)にある武神・八臂勝軍(はっぴしょうぐん)の弁財天を、
江の島に勧請(かんじょう)した。
勧請とは、神仏の分霊を来臨願い、別の地に奉安することである。
今日まで続く江の島の弁天様は、こうして誕生した。
そして源頼朝が、平家一族を滅ぼし、源氏の時代が始まると
文覚はそれまでに獲得したすべての収入を、神護寺復興に投入したのだったが・・

弁天小僧 第一章

第3章

江島神社の参道は、今も昔もあまり変わらない。
参道の途中に岩本楼という老舗旅館がある。
ここは、江戸時代は岩本院と云う寺だった。
江戸時代後期の千八百年代初頭、この岩本院を使った名作が生まれた。
それが「白浪五人男」だ。
「白浪五人男」は歌舞伎で有名な演目だが
本来の題名は「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)』である。

弁天小僧 第二章

第4章

蛇や菊、稲妻や鳳凰、雲と龍や波の柄の衣装の華麗な色彩、音楽、
そして七五調の台詞の名文句、定形のリズムがかもし出す魅力に、観客は酔いしれた。
五人の無頼どもに感情移入し、平凡で無力な一介の庶民にすぎない自分の人生を
彼らにアイデンティファイして気持を昂揚させ、充足感を味わったのだ。
五代・尾上菊五郎(おのえきくごろう)の出世作になった、この歌舞伎作者は河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)で、
豊国(とよくに)が描いた美青年の錦絵に触発されて書きあげたといわれている。
この歌舞伎が当時大ヒットした理由とは一体何だったのか・・

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