泉秀樹の歴史を歩く

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「江の島物語」コッキンさん(前編)・モース(後編)【2021年8月】

8月「江の島物語」と題して2人の外国人を特集します。
前編は貿易商サミュエル・コッキング。
当時、日本最大級といわれた近代的温室を持つ庭園(現在の「江の島サムエル・コッキング苑」)を造営しました。
後編は動物学者エドワード・S・モース。腕足類の研究のため、江の島に臨海実験所を作りました。
二人の外国人が江の島でどのような人生を送ったのか!?

【第一章】コッキンさん

明治元年(1868)26歳(か23歳)のコッキンさんは
スモーク・ジャックと呼ばれる三本マストの快速帆船を買った。
そして、この快速帆船でイギリスと日本を結びつけて儲けようと
考えたコッキンさんは日本の神奈川(横浜)に向かった。
横浜は開港して10年ちょっとの新興地だった。
同時にコッキンさんは武士の優美な立ち居ふるまいやファッションと
彼等の優しさや親切を通して日本に惚れ込みはじめていた。

【第二章】コッキンさん

仕事に成功して金を儲けたコッキンさんは、かつて漂流して助かって、
その美しさに魅せられた江の島の頂上に植物園をつくることにした。
この時期の日本では先端的な意匠で最大規模の植物園がつくられることになった。
こうして明治18年(1885)6月に完成したのが「コッキング植物園」であり、
地元では「コキン植物園」と呼ばれることになった。
いまほとんど完全な形でみごとなレンガの遺構が発掘整備されて
「江ノ島サムエル・コッキング苑」として一般公開されている。
日本の近代化遺産の重要な存在である。

【第一章】モース

モースが来日したころ、外国人が自由に活動できる「遊歩地域」は
居留地から十里(40㎞)以内と定められており、
この制限内では江の島が腕足類の研究には最も適していると考えられた。
江の島に着いて食事をしたモースは、臨海実験所として使用する海べりの小屋を借りた。
モースはこの小屋を「太平洋岸で唯一の動物研究所」だといって喜んだ。

【第二章】モース

モースはおびただしい美術品や看板、歯のすりへった下駄、
火打石、コンペイ糖の瓶、農具に至るまで、多種多様な品々を収集し、
貴重なコレクションとして後世に残した。
いまとなっては珍しいものになっており、その貢献度は高い。
さらにモースは今ではすっかり失われてしまった日本そのもの、
日本らしさが持っていた素晴らしい魅力を
『日本その日その日』という本に書き残した。

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