泉秀樹の歴史を歩く

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信長 王手をかけるまで(前編)【2022年5月】

天文21年(1552)8月16日、淸洲城の織田大和守家の信友の家宰で、この家の実権を握っていた坂井大膳、同甚介、河尻与一、織田三位らが共謀して、信長勢力下の松葉城(織田伊賀守・愛知県海部郡大治町西条)と信長の叔父・織田信次(信秀の弟)の深田城(愛知県海郡大治町西条)を攻めて抑え、織田伊賀守と織田信次を人質にとった。

翌16日の早暁、信長は那古野城から出陣し、庄内川(於多井川)畔まで進んで応援に駆けつけた守山城主・織田信光(信次の兄)と合流した。
信長の弟・信勝や柴田勝家も同行していた。

信長は同時に松葉・深田両城に別働隊を差し向ける一方、兵を松葉口、三本木口、清洲口に分け、みずからは萱津の原(海津・愛知県あま市上萱津)へ移動したところ、淸洲城からも坂井甚介が出撃してきた。

辰の刻(午前8時)ごろ戦端が切られた。
戦いの結果、清洲勢が50騎討ち死にし、大将格の坂井甚介は柴田勝家と中条家忠の二人に討ち取られて敗走した。

松葉口、深田口でも、清洲方は死傷者が多く、追い崩された。

つづいて信長は松葉・深田両城を包囲し、すぐ占領して人質を取り返した。
ふたつの城を明け渡した敵は清洲城へ逃げ込んだので、信長は一帯の田畑の作物を刈り取り、荒らして帰った。

この萱津の戦いで、信長という若者は、父・信秀に勝るとも劣らない戦闘能力を持っているということを、尾張の強豪に知らしめることになった。

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