泉秀樹の歴史を歩く

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暗殺された天才 佐久間象山【2022年9月】

佐久間象山はその日もみずからが書いた開国の勅許草案をもって、山階宮(やましなのみや)邸に伺候した。
そして、本覚寺(五条寺町・真田藩宿舎)へまわり、高瀬川沿いの木屋町の寓居へ帰宅しようとしていた。

象山は色白で、身長は5尺8寸ほど、筋骨たくましく、正面から額の広い面長な顔をみると両耳が見えないという、一種の奇相であった。
眼窩がくぼんで眼は異様な輝きをはなっていた。
そのうえ自己顕示欲が強く、黒もじ肩衣に白縮みの帷子、もえぎ色の五泉平の馬乗り袴をはき、騎射笠をかぶって備前長光の白柄の大刀に国光の小刀をたばさんでいた。
目立ちすぎるほどいかにも派手派手しい格好で、馬丁・半助が轡(くつわ)をとる西洋鞍をおかせた白馬に乗っていた。

高瀬川の三条小橋にさしかかった。
と、髪結い床の前に立っていた二人の武士が通り過ぎた象山を追いかけてきて斬りかかった。

尊皇攘夷をとなえる因幡(鳥取県)藩士・前田伊左衛門と壱岐(長崎県)松浦虎太郎である。
左股に傷をうけながらも、象山は馬腹を蹴った。
逃げる象山を別の四人の武士が襲い、深手を負わせた。
それでも象山が逃げようとすると、さらに5、6人が斬りかかり、そのなかの一人が象山の右腿を深々と斬った。
これが「人斬り彦斎」といわれていた肥後(熊本県)の河上彦斎だったと思われる。
象山の右脚はほとんど切断されていたというから、これが大量出血する致命傷になった。
倒れた象山を、武士たちはさらに滅多斬りにして逃げ去った。

これが佐久間象山暗殺事件である。
元治元年(1864)7月11日午後5時前後のことである。象山は享年54。
襲撃の首謀者の一人である人斬り彦斎もさすがに、このとき「髪の毛の逆立つ気がして」以後は暗殺をやめたといわれる。

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