泉秀樹の歴史を歩く

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近松門左衛門がモデルにした男 鄭成功の活躍【2023年3月】

近松門左衛門は承応2年(1653)に生まれた。

関ケ原の合戦から53年後で、江戸幕府は4代将軍・家綱の時代になっており、日本はすでに天下泰平を謳歌していた。
門左衛門は越前・福井松平家の三代藩主・忠昌とその子・昌親に仕える杉森信義の二男として生まれた。
母は同じ松平家の侍医の家に生まれた喜里である。
門左衛門は父同様松平家に仕えたが、寛文4年(1664)以降、浪人して京都へ出た(理由不明)。
京都では公家の正親町公通に仕えたけれども、やがてそれも辞して作家への道を選び、浄瑠璃を書くようになり、歌舞伎の原作も数多く書いた。

近松門左衛門は次々に『曽根崎心中』『冥途の飛脚』『心中天網島』など、文学史上に特筆される名作を発表していった。
天才としかいいようがないが、優れた作品は「虚実皮膜」にあって「虚」と「実」の間の「皮膜」を描くところに芸、魅力があるといい、現代作家に至るまでその影響をあたえ続けている。

そして、その門左衛門が63歳のときに『国性爺合戦』という作品を書いた。
「時代物」に「世話物」の要素が加えられているといわれるこの作品は、正徳5年(1715)10月1日に大坂道頓堀の竹本座で公演が開始されると、17か月、足掛け3年という記録的なロングラン公演になり、大ヒットどころか超々大ヒットした。

主人公は「和藤内」という名前で「和」(日本人)でも「藤」=「唐」(明人・中国人)でも「内」(ない)という人物。
逆にいえば、明人の父親、日本人の母親のあいだに生まれ、日本人でもあり、明人でもある人物、ということだ。

物語は「大日本肥前国、松浦の郡 平戸の郷に、釣垂れ網引き世を渡る、和藤内三官といふ若者あり。
妻も同じ海士の業」で、名は「小睦」と仲睦まじく暮らしていた、というのんびりした場面からはじまって、やがて、話は波乱万丈に展開していく。
そして、この物語は実際に存在した鄭成功という人物の活躍をモデルにしたものだ。

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