
2024年夏、知的障がいのある生徒が通う都立青鳥特別支援学校が、特別支援学校として初めて単独チームで西東京大会に出場し、話題を集めました。初戦で都立東村山西高と対戦し、0対66で5回コールド負けを喫しましたが、アウトをひとつ取るたびに、敵味方関係なく大きな拍手が送られました。
東京都世田谷区にある都立青鳥特別支援学校が初めて西東京大会に参加したのは23年夏のことです。ただし、この時は松蔭大松蔭高、都立深沢高との連合チームでした。
たとえ連合チームであっても、地区大会に出場するためには、東京都高校野球連盟に加盟申請し、承認されなければなりません。
青鳥特別支援学校が、都高野連に加盟打診したのは、22年12月のことです。しばらくして、都高野連から「一度、練習を見せて欲しい」という申し出がありました。
都高野連からは理事長を含む4人が学校に訪れ、視察の他、校長への面談も行われました。
学校に吉報が届いたのは23年5月。西東京大会の開幕まで、もう2カ月を切っていました。
青鳥特別支援学校に「野球部」はありません。名称は「ベースボール部」です。久保田浩司監督は「横文字にすることで、いろいろな人の目に留まるようになった」と思わぬ効果を口にしました。
久保田監督は日体大卒業後の88年4月、養護学校(現・特別支援学校)に赴任しました。ある日、ダウン症のひとりの生徒が「キャッチボールを教えて欲しい」と願い出てきました。
もちろん、その生徒はボールを投げたことも受けたこともありません。久保田監督がボールの握りや腕の振り、足のステップを教えるとめきめき上達しました。
「その子がピョンピョン跳びはねて喜ぶ姿を見た瞬間、私にスイッチが入りました。この子たちをちゃんと教えれば、もっとうまくなる」
久保田監督が青鳥特別支援学校にやってきたのは21年春。まず顧問になったのが球技部、その2年後にベースボール部が創設されました。
©共同通信社
外から見ていると、どうしても気になるのが安全性です。実際、生徒のケガを懸念する声も、いくつかあったようです。
しかし、久保田監督によると、「指導者がきちんと安全性に気を配っていれば、大きな事故は未然に防げる」と言います。
「私たちは具体的な安全対策をとりました。キャッチボールをする時の各組の距離を広くしました。送球が逸れても他の生徒に当たらないようにするためです。それと振った後のバットは投げないこと。これもケガにつながる危険性がありますから。あとはベースを踏む時に足首のケガを防ぐため、生徒たちが踏む位置に印をつけ、徹底しました。今も教員がそばにいて踏む位置を指示しています。指導者も常時4人体制を敷いて練習を見ています」
スポーツ基本法には<スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営むことは、全ての人々の権利であり、全ての国民がその自発性の下に、各々の関心、適性等に応じて、安全かつ公正な環境の下で日常的にスポーツに親しみ、スポーツを楽しみ、又はスポーツを支える活動に参画することのできる機会が確保されなければならない>と謳われています。
学校側に「安全配慮義務」が課されるのは当然ですが、基本的に生徒がスポーツに親しみたい、スポーツを楽しみたい、といえば、学校はその機会が確保されるよう、最大限の努力をしなくてはならないのです。
久保田監督には夢があります。それは甲子園出場です。「0対66でコールド負けしているような学校が甲子園なんて……」と一笑に付す向きがほとんどですが、久保田監督は大真面目です。
「狙うとすればセンバツ21世紀枠。それには秋季都大会でベスト8以上の成績を残さなくてはいけません。そこまでの実力をつけるには時間がかかるでしょうが、障がいのある子がもっと野球に取り組むようになれば不可能ではないと思います」
青い小鳥たちの挑戦は続きます。
二宮清純
1960年、愛媛県生まれ。
スポーツ紙や流通紙の記者を経てフリーのスポーツジャーナリストとして独立。オリンピック・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。明治大学大学院博士前期課程修了。広島大学特別招聘教授。大正大学地域構想研究所客員教授。「スポーツ名勝負物語」「勝者の思考法」など著書多数。

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