
子どもがスポーツを始めるきっかけとして、親がその競技を薦めたというケースは少なくありません。2004年アテネ五輪、08年北京五輪レスリング女子フリースタイル72キロ級銅メダリストの浜口京子さんは、父親でプロレスラーのアニマル浜口さんとの“父娘鷹”として名を馳せました。
父親がプロレスラーであるため、京子さんの場合、物心つく頃からレスリングに親しんでいたようなイメージがありますが、実はそうではありません。
京子さんが最初に取り組んだスポーツは水泳でした。ところが全く芽が出ず、一時はプールに行くのも嫌がるようなありさまだったようです。
想像するに、周囲の目もあったのかもしれません。父親や母親が有名なスポーツ選手の場合、まわりはどうしても、「おとうさんは強いのに……」「おかあさんはすごい人なのに……」という好奇の目で見がちです。たとえ別の競技であったとしても、視線がやわらぐことはありません。
プールに行くのを嫌がる娘に対し、無理やりにでも連れていくか、それとも別の競技を探すか。アニマルさんが選択したのは後者でした。
「失った自信を取り戻させるには、どうすればいいか。とにかく汗をかかせるしかない。一心不乱にトレーニングに励めば、挫折なんて吹き飛んでしまうだろう」
水泳で挫折した娘に、アニマルさんが薦めたのはボディビルでした。これには、ふたつの理由がありました。
まずひとつは、アニマルさん自身がボディビルの経験者だったことです。アニマルさんは17歳でボディビルを始め、22歳で“ミスター兵庫コンテスト”準優勝を果たしています。
ボディビルは、自分との戦いです。アニマルさんの言葉を借りれば、一心不乱にトレーニングに励むことで、目標とする肉体に近付くことができます。そこで得た達成感を、娘にも味わわせたかったようです。
ふたつ目として当時、女子のボディビルは、まだブルーオーシャンだったことがあげられます。ブルーオーシャンとは、ビジネス用語で競争の少ない市場、未開拓の市場を意味します。
Aekawat Phoomila / PIXTA(ピクスタ)
アニマルさんは、「ここなら娘を輝かせることができると思った」といいます。
父親の計画に従い、京子さんは13歳で筋トレを始め、その後、東京新人ボディビル選手権ミスの部で3位入賞を果たします。人生で手にした、初めての勲章でした。
かつて、京子さんは私にこう語りました。
「あの体験が、私には本当に大きかった。ステージに上がり、ライトを浴び、拍手までもらう。これって人生初めての出来事でした。あぁ、私にもできるんだと。努力すれば、こんなにもいいことがあるんだと。その時、私の生きる道は、もうスポーツしかない、と決めたんです」
小さな成功体験が、後に別の競技で大輪の花を咲かせたのです。
ところでブルーオーシャンの対義語はレッドオーシャンです。こちらは競争の激しい市場で、日々、生き残りをかけた厳しい戦いが待ち受けています。どちらの市場を選ぶかは、あくまでも本人が決めることですが、個人的にはAがダメならBがある。BがダメでもCもある、といった柔軟な考えもありなのではないか、と思います。
ボディビルで体をつくった京子さん、15歳でレスリングの全日本選手権に出場します。女子レスリングがオリンピックの実施競技になるのは、2004年のアテネ大会から。京子さんが競技人生をスタートした頃は、まだブルーオーシャンの状態でした。
中国には「鶏口と為るも、牛後と為る無かれ」ということわざがあります。レッドオーシャンの後方にいるくらいなら、ブルーオーシャンの先頭に立った方がいい、と読み替えることもできます。
子どもが今やっている競技で挫折した時、親や周囲には、どんなサポートができるのか。視界を広く持ち、できるだけ”幅広”に考えた方がいいように思われます。
二宮清純
1960年、愛媛県生まれ。
スポーツ紙や流通紙の記者を経てフリーのスポーツジャーナリストとして独立。オリンピック・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。明治大学大学院博士前期課程修了。広島大学特別招聘教授。大正大学地域構想研究所客員教授。「スポーツ名勝負物語」「勝者の思考法」など著書多数。

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