2022年10月3日(月)更新 [臨時号]
羽生結弦、記念式典で慶祝のターン披露
日中国交正常化50周年での“独自外交”
日中両国は9月29日、国交正常化から50周年を迎えました。都内で開かれた記念式典には羽生結弦選手も出席し、祝辞を述べました。
「タージャーハオ」
9月19日更新の小欄で、私はこう書きました。
<かつて長嶋茂雄さんは、ホテルにチェックインする際、宿泊カードの職業欄に「長嶋茂雄」と書いたという逸話があります。いずれ羽生選手にも、そうした時代がくるのかもしれません。国内はもとより、世界的にも羽生選手のことを知らない人はいないでしょうから>
その5日後の24日、地元の仙台放送「スポルたん! NEO」に出演した羽生選手がこう話しているのを聞き(この映像はYouTubeの「仙台放送公式チャンネル」でも配信)、驚きました。
「現在、自分がプロデュースするアイスショーに向けていろいろ動きだしたり、動画やYouTubeなどいろいろ制作していて自分がどういうことを表現していきたいのか、ある意味では“職業・羽生結弦”としてどういうふうに自分を見せていくのか、ということを考えながらやっています。そこは大変でもありつつ、突き詰められる幸せを感じています」
今回の記念式典への参加は“職業・羽生結弦”を想起させるものでした。<今後の日中交流における主役である両国の若い世代共通の未来と希望のシンボルとして活躍してもらうことを期待して>(日中国交正常化50周年記念慶典組織委員会)選出され、登壇した羽生選手は、落ち着いた口調でこう語りました。
「タージャーハオ(中国語でみなさん、こんにちは)。9月29日は記念すべき日です。今年の2月に北京五輪に出場させていただきました。中国の人の温かさに触れてとても感動したし、とても嬉しかったです。日本と中国がもっといい関係であり続けられるように、僕も役に立ちたいと思いました」
また、自らの近況についても触れました。
「今年の7月にプロスケーター転向宣言をしました。これからも現役として4回転半に挑戦していきたい。日本と中国が、より分かり合える。そのきっかけに(僕が)なれたらいいなと思います。これからの50年も共に力を合わせて、未来のために、私たちのために、そして次の世代のために頑張っていきましょう」
嘉納治五郎翁の思い
会場が沸いたのは降壇の際のパフォーマンスです。羽生選手は革靴のままクルッと鮮やかなターンを披露し、いつもリンク上で見せているように客席に向かって一礼しました。次の瞬間、会場は大きな拍手に包まれました。
こうした機転の利いたパフォーマンスを、さり気なく披露してみせるところに、羽生選手の人間的なセンスと奥行きが感じられます。
にもかかわらず、記念式典に関する羽生選手のニュースは、決して多くはありませんでした。台湾問題などで冷え込む両国間の関係が反映されたものだったと言えるでしょう。
かくいう私も、大国意識丸出しの中国の外交姿勢には嫌悪感を覚える者のひとりであり、昨年2月の北京冬季五輪開幕前には、次のような一文を連載コラムに寄せました。
<考えてみれば五輪も経済圏構想も中国では習近平国家主席が唱える「中華民族の偉大な復興」を実現するための一つの手段であり、覇権主義国家ならではの野望と不遜が見てとれる。
鄧小平氏が実権を握っていた時代は「韜光養晦」(爪を隠し、才能を覆い隠し、時期を待つ)を合言葉にしていたが、衣の下の鎧を隠そうともしないのが今の中国である>(『スポーツニッポン』2022年1月5日付)
近所付き合いが嫌なら引っ越すこともできます。しかし、国の場合、そうすることはできません。両国間に生じている摩擦係数をできる限り最小化し、事前に争い事の芽を摘む――。それが外交というものです。中国人からもリスペクトされる羽生結弦というアスリートの存在価値は、ある意味、政治家や外交官より大きいと言えるかもしれません。
日本人初のIOC委員で“柔道の父”と呼ばれる嘉納治五郎翁は、次のような言葉を残しています。
「柔道を通じて外国人と日本人との間の理解と親しみが増し、お互いを信じるようになるため、もし争いが生じても円満な解決ができるようになる」(『NHK公式サイト』2016年8月15日配信)
羽生選手も治五郎翁と同様の思いで記念式典の舞台に立っていたように思われます。
二宮清純