2023年11月20日(月)更新
羽生結弦「歴史」創造への挑戦
「羽生ワールドへようこそ!」
プロフィギュアスケーター羽生結弦選手の単独アイスショーツアー「Yuzuru Hanyu ICE STORY 2nd "RE_PRAY" TOUR」が11月4日、埼玉からスタートしました。1万4000人の観客を前に、羽生選手は新たな世界観を披露しました。
「特権的肉体」の究極
照明が全て消えると同時に、拍手が巻き起こりました。次の瞬間、スクリーンにテレビゲームのスタート画面が映し出されます。羽生選手が言うところの「ゲームの世界からの倫理観や価値観」がコンセプトとして立ち上がってきます。
もうこの時点で、普通のアイスショーではないことがわかります。「羽生ワールドへようこそ!」と手招きされた気分になりました。
氷上に現れた羽生選手は青白い光の幕に囲まれています。囚われの身という意味なのでしょうか。
舞台は再び暗転します。1曲目は「いつか終わる夢」。プロジェクションマッピングが創り出す幻想的な空間を滑る羽生選手の滑らかなスケーティングに、つい息を呑んでしまいます。
このコラムで何度も述べましたが、人々を魅了する「羽生ワールド」のベースにあるのは、その特筆すべきアスリートとしての身体能力とセンスです。ある意味、昔、唐十郎さんが唱えた「特権的肉体」の究極のかたちと言っていいかもしれません。
羽生選手の「身体」が、氷との対話を繰り返しながら、「物語」をつむぎ始めると、そこから先は彼の独壇場です。
やがてゲームに憑りつかれた“羽生青年”はゲームオーバーとコンティニューを繰り返し、もがきながらも前に進もうとします。
「本当にやめたいなら、ここでもう戦わないだろう」
「でも、挑む。なぜ?」
「そこに、知らない世界があるから」
「そこに、知らない物語があるから」
「そこに、この続きがあるから」
「そのために、今を選んできたから」
自問自答の末に
競技者としての自らの、これまでの生き方をなぞるような自問自答が続きます。
氷をザクッザクッと切り裂く音を立てながら現れた羽生選手、ここでは荒々しいスケーティングを見せます。まるで修験者が、悟りを開くための荒行のようです。
プログラムは進み、5曲目は「破滅への使者」。ここで披露した「トリプルアクセル、オイラー、3回転サルコウ、オイラー、3回転サルコウ」の5連続ジャンプは圧巻の一語。会場から割れんばかりの拍手が降り注ぎました。
後半の1曲目も前半同様「いつか終わる夢」。前半とは異なり、スクリーンに光が射していました。希望の光ということなのでしょうか。翼を広げた大きな鳥が映し出され、羽生選手と一体化します。自由への旅立ちです。
静謐なピアノの音とともに滑り始めた羽生選手、身にまとった白い衣装がなびくと、吹いてもいないのに、実際に風が流れたような錯覚にとらわれました。このように「特権的肉体」はアリーナに人工の風を吹かせることもできるのです。
「あなたの人生において、乗り越えるべき壁はありますか?」
「あなたの人生において、壊すべき壁はありますか?」
かつて自らに向けた言葉は、今日はじめて会った者、そしてまだ見ぬ者へも向けられます。「ストーリー自体で答えを出して欲しいというものではなく、考えてもらいたい。考えるきっかけのひとつであってほしい」。それが羽生選手からのメッセージです。
アイスショーからアイスストーリーへ――。ちなみに英語のストーリー(story)はラテン語のストーリア(storia)に由来すると言われています。語源をたどるとイストリア(historia、歴史)という言葉に出くわします。英語ではヒストリー(history)です。羽生選手は唯一無二の「特権的肉体」を武器に「歴史」を創造しようとしているのかもしれません。
二宮清純