2025年7月7日(月)更新
被災地と支援者つなぐ羽生結弦
名誉と称号の利活用と公的責任

「国民栄誉賞の名に恥じないようなスケートをしていきたいと思います」。これは今から7年前の2018年7月2日、羽生結弦選手が国民栄誉賞の表彰式で述べた言葉です。23歳での同賞受賞は、個人としては史上最年少でした。
「被災地を笑顔に」
<広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったもの>
政府が国民栄誉賞を授与するにあたっての、唯一の基準がこれです。
日本人では冬季五輪で初となる2大会(2014年ソチ、2018年平昌)連続金メダリストとなった羽生選手に政府が国民栄誉賞を授与したのは、当然のことでした。
授与理由を問われた菅義偉官房長官(当時)は「五輪連覇は社会に明るい夢や希望を与え、東日本大震災の復興への力強いメッセージとなった」と説明しました。
東北地方を中心に未曾有の被害をもたらした東日本大震災から7年。仙台市出身の羽生選手の「被災地の方を笑顔にしたい」との姿勢も高く評価されたようです。
スポーツにおける国民栄誉賞といえば、これまでは功成り名をとげた選手に授与されるイメージがありました。
老成のイメージを嫌ってか、たとえばイチローさんは、2001年、04年、そして09年にも同賞の授与を打診されましたが、「人生の幕を下ろしたときにいただけるように励みます」と言って、3度目も断りました。イチローさんの信念を感じずにはいられません。
翻って羽生選手は、受賞によって生じた公的責任を肯定的に受容し、活動の糧にしていきたいという考えのようです。とりわけ被災地への支援、被災地からの発信は、プロ転向後、羽生選手の活動の中枢を占めるようになっていきました。
羽生選手は昨年9月15日、金沢市内で行なわれた「能登半島地震復興支援チャリティー演技会~挑戦 チャレンジ~」に出演しました。今年6月、その収益が明らかになりました。地元の金沢テレビによると収益総額は5366万2728円。同局はその全額を石川県と能登の自治体に寄付しました。
「五輪連覇の知名度を使いたい」
羽生選手は5月下旬、大規模な山林火災に見舞われた岩手県大船渡市にも、テレビのリポーターとして足を運びました(放送は6月12日)。山火事は有力な地場産業である漁業にも深刻な被害をもたらしました。
羽生さんが日本テレビ系列の情報番組で、地元から惨状をリポートしたところ、全国から大きな反響があったそうです。
<羽生さんがこんなに綾里の漁業者にクローズアップしていただいたことに、とても驚きました。(中略)今回の番組をうけて本当にたくさんのご注文をいただきました>(綾里漁協オンライン公式サイト25年6月14日)
このように五輪2大会金メダリスト、国民栄誉賞受賞者の発信力は絶大です。それは本人も意識しているようで、自らこう述べています。
「僕は被災地の支援をするために、五輪を連覇したいと思いました。良い意味で“五輪連覇の知名度”を使いたい。お金もそうです。注目度もそうです。ちょっとでも力になれたらいいなと思っています。いろんな災害がありますが、やっと自分がプロに転向してから、徐々に被災地に心を馳せることができ始めています」
メダルや表彰状は、壁にかけていたり金庫にしまっているだけでは価値が出ません。
若くして手にした名誉や称号を、どういうかたちで社会に還元し、役立てるか。氷上でも披露した羽生選手の軽やかなステップワークが被災地と支援者をつないでいます。

二宮清純