2025年7月22日(火)更新
羽生結弦、プロ3周年の歩留まり
氷上の「饒舌」と密室の「沈黙」

羽生結弦選手が、この7月19日にプロ転向3周年を迎えました。3年という時間は、何をやるにしてもひとつの目安です。この3年間で得た経験が、次の3年間に向けての飛躍につながるはずです。
創造的な作品群
「石の上にも3年」という格言があります。何かを始めた以上、辛くてもしんどくても3年我慢すれば、いつか報われる時がくる――。
概ね、そういう意味ですが、どうやら、これはインド由来の故事のようです。
古代インドにバリシバ尊者という人物がいました。この御仁は、80歳になってから出家し、石の上で3年間も座禅を組んだといいます。
その間、寝ることも横たわることもしなかったというのは、にわかには信じられませんが、厳しい修行の末に悟りを開くことができたというのは、「面壁九年」の達磨大師のナラティヴを持ち出すまでもなく、高僧崇拝の根本をなすものです。
3年という時間は、長いといえば長いし、短いといえば短い。実に微妙な単位です。
プロ転向後の羽生選手の3年間は、試行錯誤の連続でした。単独公演に限れば、「プロローグ」、「ICE STORY 2023 “GIFT” at Tokyo Dome」、「ICE STORY 2nd “RE_PRAY” TOUR」、「ICE STORY 3rd Echoes of Life TOUR」と数々の創造的な作品群を世に送り出してきました。
最も新しいところでは、今年3月に披露した「BOW AND ARROW」というプログラムが耳目を集めました。
米津玄師さんが手がけた「BOW AND ARROW」はハイテンポな曲調です。曲の時間はフィギュアスケートのショートプログラム(SP)を意識して設定されていました。
羽生選手は、このプログラムで、4回転ルッツ、3回転アクセル、4回転サルコウ+3回転トウループの着氷に成功します。ルッツはアクセルの次に難易度の高いジャンプですが、それを4回転で決めました。
有言実行の30歳
通常、SPでは曲が始まって、およそ20~30秒で1回目のジャンプを跳ぶのがセオリーです。体力がなくなってから難易度の高いジャンプに挑むのは得策ではありません。
ところが羽生選手は、曲がスタートしてから50秒の時点で1回目のジャンプ(4回転ルッツ)を跳びました。その20秒後、カウンターから、ほぼ助走なしでトリプルアクセル。そして着氷した右足を軸にして高速ツイズルに移行しました。
1回目のジャンプを、もう少し早く跳んでいれば、多少はスタミナも回復し、2回目、3回目のジャンプにスムーズに移行できたのではないか……。そんな気もするのですが、羽生選手は、楽な道を選びません。そこにアスリート羽生結弦の真骨頂を見ることができます。
羽生選手は昨年12月に、30歳を迎えました。アスリートにとっては節目の年齢ということもあり、報道陣から「30代の抱負は?」という問いが向けられました。
羽生選手の答えは、こうでした。
「自分の中では、劣化していくんだろうな、という漠然としたイメージがありました。しかし、野球やサッカーに置き換えて考えてみたら、(30代は)これからやっと、自分の経験や感覚、技術を含めて脂が乗ってくる時期だと思うんです。自分自身の未来に希望を持って、 “絶対にチャンスを掴むんだ!”という気持ちを常に持ちながら、トレーニングにも本番にも臨みたいなと思っています」
有言実行。30代の羽生選手のパフォーマンスが、厳しいトレーニングによって支えられていることは言を俟(ま)ちません。
ある意味、饒舌(パフォーマンス)は沈黙(トレーニング)の量と質に比例します。ひたすら自らに向き合う孤独なトレーニング(沈黙)の景色は「面壁九年」と同様、無色なのではないかと勝手に想像してしまいます。

二宮清純