2026年3月16日(月)更新
羽生結弦「メンテナンス」を超えて
8カ月ぶりのベストパフォーマンス
プロフィギュアスケーターの羽生結弦選手が座長を務めるアイスショー「notte stellata 2026」が3月7日から9日にかけて、宮城県利府町のセキスイハイムスーパーアリーナで行なわれました。同所で4年連続4回目の開催となった今回は、東日本大震災から15年(3月11日)ということもあり、鎮魂と復興へのいっそうの思いをパフォーマンスに込め、被災地から希望を発信しました。
坂本龍一の「遺産」
羽生選手は昨年8月から「メンテナンス期間」と称し、公の場での演技を控え、約8カ月という時間を肉体改造や技術向上に費やしてきました。
今回、スペシャルゲストとして参加した東北ユースオーケストラは、2023年3月に他界した世界的音楽家・坂本龍一さんの呼びかけにより、東日本大震災で被災した学校(岩手、宮城、福島の約1850校)の楽器点検や修理をするプロジェクト「こどもの音楽再生募金」が元になって誕生したものです。
1部の最後で、羽生選手はオーケストラが奏でるメロディに乗って演技を披露しました。タイトルは坂本さん作曲の「Happy End」。上下とも白の衣装に身を包んだ羽生選手は、リンク中央で大の字に寝そべってスタートポジションにつきます。氷上をのたうち回ったり、頭を抱え込んだりしながら、被災者が抱える苦悩を表現しました。
囲み取材で「Happy End」について聞かれた羽生選手は「めっちゃ苦しい、という感じ」と語り、こう続けました。
「間違いなくちょっとずつ復興はしているけれど、傷あとは残っています。僕が練習しているアイスリンク仙台も、補修されているけれど壁に傷が残っています。見える傷を感じながら、それにむしばまれながら苦しんでいるけれど、“その傷も自分(の一部)なんだ”と最終的に受け入れる。演技が終わった後に次があるよ、と思えるプログラムにしたつもりです」
オーケストラとの、この日2度目のコラボレーションは第2部の8番目。楽曲は「八重の桜」です。坂本さんは甚大な被害を受けながら、再生に向けて進む被災地の姿を、この曲で表現しようとしました。
「芸術」支える「技術力」
この時の羽生選手は白の和テイストのシャツに、黒いズボンという出で立ち。1部で見せたダンス調のパフォーマンスとは打って変わり、フィギュアスケートの要素を多分に盛り込んだ演技構成となっていました。レイバックイナバウアー、3回転ループ、ディレイドアクセル(1回転半ジャンプ)、ハイドロブレーディング……。しなやかな動きは、以前よりもさらに磨きがかかっているように映りました。本人の言う「メンテナンス期間」とは、体幹を始め、全身の筋肉を鍛えることで瞬発力や持久力を向上させる「強化トレーニング期間」だったと解釈する方が適切かもしれません。「芸術は絶対的な技術力に基づいたものだ」とは本人の弁ですが、「芸術」を支える「技術力」は「体力」「筋力」「コンディション」に裏打ちされます。
私が「羽生さん」ではなく「羽生選手」と書く理由も、ここにあります。彼は今も進化し続ける半永久的なアスリートなのです。
その羽生選手、初日の公演後には、こんな言葉も口にしました。
「すごく強いボクサーのパンチは、綺麗に体が動いていますよね。曲線美のような綺麗さがある。それと同じように僕らの身体表現においても、理にかなっているからこそ、人間として綺麗だよね、という動き方があるなと思いました。メンテナンス期間を経て、“技術的なこと、基礎的なことがあって、その上に感情が乗せられるんだな”と気づきました」
ボクシングを題材にした名作のひとつに、ノーベル文学賞候補として名前が挙がり続けるジョイス・キャロル・オーツ氏の『オン・ボクシング』(中央公論社・北代美和子訳)があります。
著作から一文を紹介しましょう。
<ダンサーと同じように、ボクサーとは、その肉体(ボディ)で「あり」、ボクサーとその肉体は、完全に一体化している>
感情が動きをつくるのではありません。動きが感情を「乗せる」のです。あらゆる動きを支配し、制御する「技術」は「ボティとの一体化」によってなされます。だから羽生選手の動きは美しく、そして麗しいのです。

二宮清純





