2024年3月11日(月)更新

オールドルーキー斎藤隆の危機感
“郷に入れば郷に従え”で投法改造

 日本人メジャーリーガーのパイオニアである野茂英雄さんが、最初にドジャースと交わしたのはメジャー契約ではなくマイナー契約だったと前回述べました。実はドジャースで日本人最多の84セーブをマークしている斎藤隆さんも、最初はマイナー契約、それも招待選手からのスタートでした。

ドジャース(大谷翔平・山本由伸所属)の放送予定はこちら

自己最速159キロ

 斎藤さんが海を渡ったのは2006年、36歳の時です。誰もが「トゥー・レイト」と思いました。

 しかし、斎藤さんは左ヒジを故障した当時のクローザー、エリック・ガニエさんに代わってトップチームに昇格し、4月9日のフィリーズ戦で初登板を果たすのです。

 当初はセットアッパーとしての登板でしたが、無失点を続け、6月にはガニエさんの再度の故障を受け、クローザーの座を射止めるのです。

 斎藤さんといえば、大洋・横浜時代はスライダー投手のイメージがありました。切れのいいストレートも投げていましたが、年齢を重ねるごとにスピードは落ちていきました。33歳の時にはクリーニングとはいえ、右肩の手術も経験し、少なくともストレートに関しては、これ以上の“伸びしろ”はないように感じられました。

 ところがアメリカにやってきたらスピードが増し、07年6月には、ついに自己最速の99マイル(159キロ)を叩き出したのです。

 断っておきますが、斎藤さんの日本時代の最速は153キロです。それが一気に6キロもアップしたのですから“驚き、桃の木、山椒の木”です。

 斎藤さんと対戦した打者たちも、口々にアウトローに糸を引くように決まるフォーシームを絶賛していました。

 いったい、何があったのでしょう。斎藤さんは「思い切ってフォームを変えたことがよかった」と語っていました。

 というのも、日本では右ピッチャーの場合、左ヒザをできるだけ前に出すような投げ方が求められます。その方が“球持ち”もよくなります。昔の好投手の投球写真を見ると、右ピッチャーの場合、例外なく右ヒザに土がついています。

テコの原理

 蛇足ですが、プロアマ通じて、一番ボールが速かったと言われる江川卓さんの高校時代の投球写真があります。右足にはべっとりと土がつき、右ヒジは高い位置に保たれています。

 ことほどさように斎藤さんも、日本時代は左ヒザを前に踏み出し、腕が遅れて出てくるようなフォームを追求していました。ところが米マイナーリーグのマウンドで、その投げ方をすると何度もボールがすっぽ抜けてしまったのです。

 最初は日米のボールの違いのせいだとばかり思っていましたが、しばらくして原因は「滑りやすい」米国製のボールではなく、アメリカの硬いマウンドときつい傾斜にあることに気が付きました。

「日本に比べ、アメリカのマウンドは硬くて傾斜もきつい。だから彼らを見ていると踏み出した前の足を突っ張り、その反動を利用してテコの原理でバーンと上から上体を倒すようにして投げるんです」

 とはいえ、これまで長年かかって身につけたフォームを変えるのは、大きなリスクを伴います。フォームの改造が仇となってケガでもしてしまったら元も子もありません。

 しかし36歳の斎藤さんに失うものはありませんでした。

「僕はマイナー契約だから、いつクビになるかわからない。それで思い切って彼らのように頭上からボールを叩きつけるような投げ方をしたところ、低めに速いボールが集まるようになった。それが自己最速の99マイルにつながったのです」

 郷に入れば郷に従え――とは、よく言ったものです。いつクビになるかわからないという危機感がオールドルーキーを、名誉あるドジャースのクローザーに押し上げたのです。

ドジャース(大谷翔平・山本由伸所属)の放送予定はこちら

二宮清純

二宮清純 スポーツジャーナリスト

1960年、愛媛県生まれ。
スポーツ紙や流通紙の記者を経てフリーのスポーツジャーナリストとして独立。オリンピック・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。明治大学大学院博士前期課程修了。広島大学特別招聘教授。大正大学地域構想研究所客員教授。「スポーツ名勝負物語」「勝者の思考法」など著書多数。

メジャーリーグもプロ野球も。

J:COMなら、スポーツ番組がこんなに楽しめる。