2024年11月27日(水)更新
ドジャースの大谷翔平選手が、ロサンゼルス・エンゼルス時代の2021、23年に続いて2年連続3度目のMVPを満票で受賞しました。ア・ナ両リーグにまたがっての2年連続受賞もMLB史上初なら、指名打者(DH)専業での受賞もMLB史上初でした。
MVPは全米野球記者協会に所属する記者の投票によって決まります。計30人が1位14点、2位9点、3位8点……といった具合に上位10人に点数を付け、自動的に最多得点者が選出されます。
大谷選手は「満票」だったということですから、30人全員が1位とし、計420点が与えられたことになります。
MVP受賞後のインタビューで、大谷選手はこう語りました。
「本当にドジャースの一員として代表としてもらったと思っているので。みんなで掴み取ったものだと思っています。MVPを取りたいと思ってシーズンに入ったわけではない。新しいチームで早くファンやチームメートに認められたいなという思いで、特に前半戦はそういう感じでやっていました」
打率3割1分、54本塁打、130打点、59盗塁の打撃成績は文句なし。加えて、MLB史上初の「50-50」(50本塁打・50盗塁)超えの「54-59」をマークした大谷選手のMVP受賞を疑う者はいませんでした。
唯一の不安材料は、DHを専業とする選手のMVP受賞が、過去に1度もなかったことです。理由は守備でチームに貢献することができないからです。最強のDHに贈られる「エドガー・マルチネス賞」を8度受賞したデビッド・オルティーズさんも、MVPには届きませんでした。
オルティーズさんはボストン・レッドソックス時代の04年から06年にかけて、3年連続で40本塁打以上、130打点以上をマークしました。06年は本塁打と打点の2冠王に輝きました。しかし足は遅く、先の3年間での盗塁数は、わずか2つ。たまにファーストの守備につくことはありましたが、球さばきはまずまずでも守備範囲は狭く、いわゆる“打つだけの選手”でした。
その意味でも、大谷選手はDHはDHでも、過去の選手と比較することはできません。
そもそも、大谷選手にとって2024年のシーズンは昨年秋に受けた右ヒジ手術のリハビリ期間。もとよりDHを専業とする選手ではありません。打つだけならともかく、これだけ走れるDHはもう現れないでしょう。
ナ・リーグがDH制を導入したのはア・リーグから50年遅れの2022年。この制度変更も大谷選手には吉と出ました。
さて、MLBにおけるMVPの最多受賞者はバリー・ボンズさんの7回(90、92、93、01、02、03、04年)です。MLB史上最多の762本塁打の記録を持ちながら、薬物疑惑により晩節を汚してしまいました。
しかし薬物に手を出すまでは、走攻守全て揃ったMLBきっての5ツールプレーヤーとして知られ、「30-30」(30本塁打・30盗塁)を4度、「40-40」(40本塁打・40盗塁)を1度マークしている他、ゴールドグラブ賞を8回も受賞しています。
ボンズさんに次ぐのは、ジミー・フォックスさん、ジョー・ディマジオさん、スタン・ミュージアルさん、ロイ・キャンパネラさん、ヨギ・ベラさん、ミッキー・マントルさん、マイク・シュミットさん、アレックス・ロドリゲスさん、アルバート・プホルスさん、マイク・トラウト選手、そして大谷選手の3回。現役はトラウト選手と大谷選手の2人だけです。2人にはぜひボンズさんの記録に迫ってもらいたいものです。
3度目のMVP受賞にも増して大谷選手が偉大なのは、彼の活躍がMLBのルール変更に大きな影響を及ぼしたことです。21年までは先発投手がDHを兼務することはできませんでしたが、大谷選手の能力を最大限発揮させるため、22年から、マウンドを降りた後でもDHとして試合に出続けられることが可能になったのです。これは“オータニルール”と呼ばれています。
この国では、ともすると、“ルールはルール”という固定観念に縛られるあまり、しばしば改革が後回しになることがあります。日本球界もMLBのルールに対する柔軟性を見習うべきかもしれません。
二宮清純
1960年、愛媛県生まれ。
スポーツ紙や流通紙の記者を経てフリーのスポーツジャーナリストとして独立。オリンピック・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。明治大学大学院博士前期課程修了。広島大学特別招聘教授。大正大学地域構想研究所客員教授。「スポーツ名勝負物語」「勝者の思考法」など著書多数。