2024年12月25日(水)更新

盗塁王リッキー・ヘンダーソン死去
大谷翔平が示す「理想の1番打者」

 暮れに海の向こうから訃報が届きました。オークランド・アスレチックスなど、のべ13球団で活躍し、「史上最高の先頭打者」と呼ばれたリッキー・ヘンダーソンさんが肺癌のため死去しました。まだ65歳でした。ちなみにヘンダーソンさんが最後にプレーしたのがロサンゼルス・ドジャースでした。

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不滅のシーズン130盗塁

 ヘンダーソンさんの記録はアンタッチャブルなものばかりです。MLB通算2295得点、通算1406盗塁。アスレチックス時代の1982年にマークした130盗塁は、いずれもMLB史上最多です。

 ヘンダーソンさんは、ただ足が速いだけではなく、パワーも有していました。ニューヨーク・ヤンキース時代の85年(24本)、86年(28本)、アスレチックス時代の90年(28本)、アスレチックス&トロント・ブルージェイズ時代の93年(21本)と4度、20本台のホームランをマークしています。

 ヘンダーソンさんが「史上最高の先頭打者」と呼ばれる理由は他にもあります。通算四球数は、MLB史上最多となる762本塁打を記録しているバリー・ボンズさんの2558に次ぐ第2位の2190個。ピッチャーにすれば、ボンズさんのような長距離砲なら勝負を避けて一塁に歩かせることが上策ですが、俊足のヘンダーソンさんに一塁を与えるのは、走られるリスクが高いわけですから愚の骨頂です。すなわち、それだけ選球眼がよかったということでしょう。

 アスレチックス時代の82年(116個)、83年(103個)、89年(126個)、98年(118個)と4度もリーグで最多の四球数を記録しています。それが通算4割1厘という高い出塁率につながったのです。

 ところで出塁率は映画『マネー・ボール』で主役として描かれたアスレチックスの元GM(現・野球運営担当副社長兼オーナー付シニアアドバイザー)ビリー・ビーンさんが打率以上に重視した打撃に関する指標です。ビーンさんにとってヘンダーソンさんは、盗塁の失敗さえ除けば、理想のリードオフマンだったというわけです。

「彼が1番を打つべきだ」

 さて大谷翔平選手です。24年シーズン、ロサンゼルス・エンジェルスからドジャースに移籍した大谷選手は2番でスタートしましたが、それまで1番を打っていたムーキー・ベッツ選手が6月16日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦で左手に死球を受け、骨折を余儀なくされたことから、1番を打つようになりました。

 大谷選手にとっては、この打順変更が幸いしました。それは1番での打撃成績と2番でのそれを比較すれば一目瞭然です。

 1番 90試合 3割7厘 35本塁打 84打点 44盗塁
 2番 69試合 3割1分4厘 19本塁打 46打点 15盗塁

 トップバッターの長距離砲といえば、ボルチモア・オリオールズで活躍したブレイディ・アンダーソンさんが思い出されます。

 96年のシーズン、アンダーソンさんは打率2割9分7厘、50本塁打、110打点と打撃3部門でキャリアハイをマークします。ちなみに50本塁打の内訳は1番が35本、2番が15本でした。

 アンダーソンさんがホームラン数を50本台に乗せたのは、後にも先にもこの1度だけ。2番目のホームラン数は99年の24本ですから、言葉は悪いのですが、“狂い咲き”と言っていいでしょう。

 筋肉増強剤の使用をMLBで最初にカミング・アウトしたホセ・カンセコさんは、自著『禁断の肉体改造』(ベースボール・マガジン社刊)でアンダーソンさんについて、こう述べています。

<過去3年間で41本しかホームランを打てなかった選手が、ステロイドの助けを借りずに、たった1年でどうして50本ものホームランを打てるようになるのかということだ>

 大谷選手に話を戻しましょう。NHKのインタビューで同僚のベッツ選手は「1対0で試合を始められるのなら、彼が1番を打つべきだ」と語っていました。これは新しい視点です。大谷選手の出現により、理想の先頭打者像に変化が生まれつつあるようです。

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二宮清純

二宮清純 スポーツジャーナリスト

1960年、愛媛県生まれ。
スポーツ紙や流通紙の記者を経てフリーのスポーツジャーナリストとして独立。オリンピック・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。明治大学大学院博士前期課程修了。広島大学特別招聘教授。大正大学地域構想研究所客員教授。「スポーツ名勝負物語」「勝者の思考法」など著書多数。

メジャーリーグもプロ野球も。

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