2022年6月23日(木)更新 [臨時号]
「国民的必殺技」足4の字固めの記憶。
金曜夜8時を支配したデストロイヤー
『私、プロレスの味方です』(情報センター出版局)というプロレス本のベストセラーの著者である作家・村松友視さんから「プロレスの技で、いちばん真似されたのはコブラツイストと足4の字固め」という話を聞き、はたとヒザを打ったことがあります。
私は1960年生まれですが、少なくとも私たちの世代で、教室や体育館、部室などでコブラツイストや足4の字固めをかけたことのない男子はいなかったはずです。
コブラツイストについては、別の機会に書くとして、初回は足4の字固めの思い出について振り返ります。
力道山との死闘
この技を日本に広めたのは「ジ・インテリジェント・センセーショナル」と名乗ったザ・デストロイヤーです。日本では「白覆面の魔王」と呼ばれました。
デストロイヤーは、日本初登場からして衝撃的でした。1963年5月17日、東京体育館のリングにスーツ姿で現れた彼は、力道山と対戦前のキラー・コワルスキーに握手を求め、拒否されると、あろうことかコワルスキーの青白い顔に平手打ちを見舞ったのです。
断っておきますが、相手はそんじょそこらのレスラーではありません。ユーコン・エリックの耳をニードロップで削ぎ落したという“武勇伝”の持ち主です。デストロイヤーにはヒールとしての存在感をアピールする狙いがあったのかもしれません。
力道山への挑戦権を得たデストロイヤーは同年5月24日、東京体育館で対決し、足4の字固めを披露します。体育館の天井からスポーツニッポン紙の宮崎仁一郎カメラマン(当時)が撮影した写真は衝撃的であると同時に芸術的でもありました。
宮崎カメラマンは、後にこう語っています。
<照明器具の放つ熱でリングに大粒の汗を落としながらシャッターを切った>(「スポーツニッポン」2019年3月9日付)
技を掛ける方も掛けられる方も、そして写真を撮る方も、皆命がけだったのです。
デストロイヤーは身長178センチと外国人レスラーとしては小柄でした。足も短く、ヒールとしては迫力不足で華もありませんでした。
視聴率64%
それを補ったのが白覆面と足4の字固めでした。デストロイヤーは大学でマギステル(修士)の学位を持つインテリという触れ込みでしたが、マスクを被ることで「ジキル&ハイド」のような二面性を獲得することに成功したのです。
そして、必殺技の足4の字固めです。これはデストロイヤーの2本の太くて短い足には、もってこいの技でした。仰向けに倒れている相手の左足を取り、まずはスピニング・トーホールドのように右方向に回転します。次に相手の左足を抱え込み、自らの左足を上からかぶせるようにロックするのです。天井から見ると、まさに「フィギュア・フォー・レッグロック」。デストロイヤーは技を掛け切った瞬間、両方の手のひらでマットをバンバンと叩いて観客にアピールするのが常でした。
苦悶の表情で、痛みに耐える力道山、あるいはジャイアント馬場。デストロイヤーの左足が完全にロックされるまでの数分間の攻防は、見ていて生きた心地がしませんでした。そして、それこそは昭和プロレスの名シーンでもありました。
参考までに紹介すれば、力道山とデストロイヤーが最初に対戦したWWA世界選手権試合は視聴率64%を記録しています。実に国民の3人に2人が見たことになります。プロレスが「国民的娯楽」なら、足4の字固めは「国民的必殺技」だったと言っても過言ではないでしょう。金曜日夜8時からの1時間は、おとなにとっても子どもにとっても至福の時間でした。
二宮清純