2022年10月25日(火)更新 [臨時号]
「A猪木vsアミン大統領」は、なぜ消えたのか!?
仕掛け人が語る舞台裏と“黒いヒトラー”の真実
アントニオ猪木さんが亡くなって3週間以上が経ちましたが、雑誌やウェブメディアには、猪木さんに関する多くの記事が溢れています。それは同時に世間の猪木さんへの関心の高さを物語ってもいます。
世界が驚愕
猪木さんには、対戦を熱望しながら実現できなかった試合があります。日本プロレス時代、BI砲を組んだジャイアント馬場さんとの一騎打ちです。馬場さんに挑戦状を叩きつけるなど、執拗に対戦を迫った猪木さんですが、結局、これは“幻のカード”に終わってしまいました。
しかし、馬場さんとの“幻のカード”は、あくまでも国内向けの話題です。世界を驚愕させたという意味において、これ以上の“幻のカード”は他にないでしょう。
1979年1月25日、東京・京王プラザホテルで国内のメディアはもとより、海外の通信社、ジャーナリストを招き、衝撃の記者会見が開かれました。
タイトルはこれです。
<ウガンダの食人大統領vsアントニオ猪木 正式決定! レフェリーはモハメド・アリ!>
この奇想天外なビッグマッチを企画したのが自称“虚業家”のイベント・プロデューサー康芳夫さんです。「食人大統領」の名前はイディ・アミン。1971年1月、軍事クーデターで権力を掌握したアミン大統領はウガンダに軍事独裁政権を樹立します。国民を大量虐殺したことから“ブラック・ヒトラー”とも呼ばれていました。
そのアミン大統領は身長193センチの偉丈夫で、ボクシングの東アフリカヘビー級チャンピオンという肩書きも持っていました。それなりの実力者だったことはわかりますが、なぜ康さんは猪木さんとの戦いをプロデュースしたのでしょう。
冷蔵庫の中身
以下は以前、本人から直接、私が聞いた話です。
――よく契約までいきましたね。
康:アリが仲介したんです。アリと同じくムスリム(イスラム教徒)だったアミンにとって、アリは神様のような存在でしたから。もう1つの大きな理由は、アミンはミャンマー(当時ビルマ)に英国兵として出征して、日本兵と戦っていた。それで日本が敗戦して、岩国に駐在したんです。半年くらいいたのかな。彼はすごく親日家でもあったんです。私としては、アリ対猪木戦(76年6月26日)が実現した後だったから、よほどの相手を見つけないといけない、と。ただ、交渉がスムーズにいくとは思わなかったですね。うまく2つの要因が重なって、OKをもらうことができたんです。しかし当時、ウガンダで内戦が起こって、彼はサウジアラビアに亡命してしまった……。
――なるほど、実現まであと一歩だったわけですね。ところで、アミン大統領というと「人食い大統領」とも呼ばれていました。
康:私は何度かウガンダを訪ねたんですが、アミンの大統領執務室の近くの倉庫に大きな冷蔵庫があって、中を見せてもらったことがあるんです。最初は何だかわからなかったんですが、よく見ると、人間の首が雪ダルマ式にぎっしりと入っていた。さすがにギョッとしましたよ。
――人間の首!? 本当に人を食べていたんですか?
康:いや、さすがにそれはなかったと思います(笑)。言ってみれば(虐殺した国民の)デコレーションですよね。1つ1つに日付けと名前まで書いてありましたよ。
最後に康さん、こう付け加えました。
「この試合を発表した時は、随分非難されました。結果的になくなってしまって助かった。でも猪木君は本気で残念がっていましたよ」
毒を食らわば皿まで――。猪木さんは、そんな思いだったのかもしれません。
二宮清純