写真:二宮清純

二宮清純コラムリングサイドの記憶

毎月第2月曜更新

2023年3月13日(月)更新

“地獄からの使者”キラー・コワルスキー
加筆された“耳そぎ事件”のナラティブ

 事故が事件になるのがプロレスです。ポーランド系カナダ人のキラー・コワルスキーは、“耳そぎ事件”により、ヒールとしての地位を不動のものとしました。

ホラーの世界

 不幸な事件が起きたのは、1959年6月のことです。モントリオールのリングでコワルスキーはユーコン・エリックと戦いました。コワルスキーの必殺技はフライング・ニードロップ。この技でエリックの左耳をそぎ落としてしまったというのです。

 いくらヒールとはいえ、相手の耳にニードロップを見舞うようなレスラーはいません。仮にいたとしても、ピンポイントで的中させるのは不可能でしょう。

 事実は那辺にあるのでしょう。本人にこの疑問を直接ぶつけたプロレス記者がいます。新日本プロレスの『ワールドプロレスリング』の解説者としても知られる東京スポーツの桜井康雄さんです。

 桜井さんのインタビューに、コワルスキーはこう答えたといいます。

「ユーコン・エリックの耳を狙ってニードロップをやったわけではない。ニードロップをやったことは確かだが……飛んだ瞬間、エリックがフラフラと立ったので、わたしの靴の結び目がエリックの耳に当たり、そこに体重がかかったのでエリックの耳が……」(『THE WRESTLER BEST 100』日本スポーツ出版社)

 実際に見たわけでもないのに、そのシーンが脳裡にこびりついているのは、梶原一騎原作の劇画『プロレススーパースター列伝』(小学館)の影響でしょう。

 コワルスキーのニードロップによってそぎ落とされた耳は、血まみれになって白いキャンバスの上でピクピクと動いているのです。ここまでくれば、もうホラーの世界です。

 この事故で耳を失ったエリックは精神を病み、ピストル自殺を遂げたと言われています。しかし、これについても真相は藪の中で、夫婦間の不仲が原因だったとする説もあります。

急降下するオオワシ

 いずれにしても、凄惨な事故であることにかわりはありません。先の劇画によると、以降、エリックはベジタリアンとなり、筋肉質の体は、あばら骨が浮き出るまでにやせ細っていきます。

 しかし、これがヒールのコワルスキーには幸いしました。死神と見紛うような妖気を漂わせ始めたのです。

 私がコワルスキーをテレビで初めて見たのは、1968年4月の「第10回ワールド・リーグ戦」です。63年3月以来、二度目の来日でした。ワールド・リーグ戦では決勝でジャイアント馬場に敗れたものの、準優勝を果たしています。

 この試合でもコワルスキーはフライング・ニードロップを披露しています。既に“耳そぎ事件”の逸話が、日本でも広く喧伝されていたため、ロープに足をかけるだけで、観る側は背筋が凍る思いをしたものです。

 当時、私はまだ小学生でしたが、父親が大のプロレスファンで、どこからかそうした情報を仕入れてきていました。「こいつのニックネームは“殺人狂”と言うんや。馬場の耳もそぎ落とされるかもわからんな」。そんな話を聞いて、怖がらない子供はいません。四谷怪談の比ではありませんでした。

 それでなくてもコワルスキーは2メートル近い大男です。両手を広げてニードロップを見舞う姿は、羽を広げ、獲物目がけて急降下するオオワシの姿に重なりました。

 狙われたら、もうお仕舞いです。青白い表情に潜むギョロリとした目、その風貌は “地獄からの使者”のようでした。

二宮清純

二宮清純 スポーツジャーナリスト

1960年、愛媛県生まれ。
スポーツ紙や流通紙の記者を経てフリーのスポーツジャーナリストとして独立。オリンピック・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。明治大学大学院博士前期課程修了。広島大学特別招聘教授。大正大学地域構想研究所客員教授。「スポーツ名勝負物語」「勝者の思考法」など著書多数。

フィギュアスケートも、あの競技も。
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