2023年8月14日(月)更新
ハワイ出身高見山、大相撲初優勝の陰に
横綱プロレスラー東富士の“かわいがり”。
身長192センチ、体重205キロ。巨体をいかして豪快に勝ったかと思えば、次の日は、自らバランスを崩してコロッと負ける。そのギャップに妙味があり、ユーモラスな仕草とも相まって老若男女問わず幅広い人気を誇ったのが大相撲、元関脇の高見山さんです。
<新日本プロレス入りか>
ハワイのマウイ島出身。外国出身・外国籍力士の草分け的存在としても知られる高見山さんに「プロレス転向」に関する記事が掲載されたのは1975年のことです。5月1日付けの日刊スポーツでした。まだ30歳。この頃の高見山さんは関脇か小結、前頭上位が定位置でした。ちなみに横綱の輪島さんがプロレスラーに転向したのは38歳の時です。
実は高見山さん、自著『大相撲を100倍愛して!!』(グリーンアロー出版社)に、その時の経緯を、こう明かしています。
<『高見山、プロレス転向か』
と書かれたことが何度もあるよ。最近はなくなったけどね。
やっぱり外人、体大きい、ゼスチュアもなかなかいい、そんなところから、
「高見山をプロレスラーにして、リングに上げてみたい」
というエクスペクト(期待)があるんだろうネ。
正直なところ、プロレスの人との付き合いもある。もう十年近くも前のことだが、新日本プロレスのアントニオ・猪木さんと食事をしたことがあった、すると、
『高見山、猪木と会談、新日本プロレス入りか』
とマスコミにやられるんだから、どうしようもないスよ。
あれは七五年(五十年)の五月場所だったか、スポーツ紙の一面トップで、
『高見山プロレス入り』
とやってきたんスよ。そういうおぼえはないんだけどネ。その朝、記者の人いっぱい高砂部屋へやってきた。その時、
「ボク、プロレス入りなら、ハラを切る」
って否定したことがあったスよ。今から考えるとオーバーのようだけど、場所前だけに強く否定したかったんだネ。
プロレス入りを全然考えたことない、といえばウソになるかも知れないけど、あんまり本気じゃなかったネ>
「これは目の汗です」
過日、本人に会った際、この点を確認したら、やはり、同じ答えでした。
「アントニオ猪木さんとは会ったことがあるし、レフェリーのユセフ・トルコさんはウチの親方(高砂親方・元横綱前田山)と仲がよかった。その縁で“プロレスに来ないか?”と言われたことはあったけど、本気で考えたことはなかったね」
これは、相撲ファン以外にはあまり知られていない話ですが、ハワイからやってきたばかりの高見山さんを鍛え上げたのは、元横綱で、その後プロレスラーになる東富士さんでした。新横綱となった49年の1月場所から、高砂部屋の所属となり、若い衆に胸を貸していました。
高見山さんが高砂部屋に入門したのは64年2月ですが、その頃にはプロレスラーも引退し、高砂部屋で後進の指導にあたっていました。
振り返って高見山さんは語ります。
「東富士さんは厳しかったね。その頃、ワタシたちは朝4時から昼の12時くらいまで、ぶっ通しで稽古をやっていました。それが終わると関取衆は風呂に入る。
ところが、そこから若い衆のひとりかふたり、必ずぶつかり稽古をやらされる。決まってワタシが指名されるんです。それも20分、30分ずっと。いわゆる“かわいがり”ですよ。あまりにも厳しいので、涙が出た。終わった後、東富士さんに『おい、ジェシー(本名)、泣いているのか?』と。ワタシは、咄嗟に答えましたよ。『いえ、違います。これは目の汗です』ってね」
72年7月場所での初優勝は、東富士さんからの“かわいがり”の成果だったと言っていいかもしれません。
二宮清純