2024年10月14日(月)更新
大木金太郎“耳そぎ事件”を読み解く
バーナードの角材はなぜ直撃したのか
角材に頭突き?
スキンヘッドのバーナードが日本プロレスに初来日を果たしたのは1968年冬のNWAチャンピオンシリーズです。12月1日には仙台市の宮城県スポーツセンターで、ロニー・メインと組みアントニオ猪木&大木金太郎(キム・イル)コンビと対戦しました。
この日もバーナードは奇声を発してリングサイドに姿を現しました。首を少しかしげ、獲物を狙うかのように前傾姿勢でのっしのっしとリングサイドを闊歩する姿は、まさに“野獣”そのものでした。
凄惨な事故が起きたのは1本目です。それまで凶器を手に、狼藉の限りを尽くしていたバーナードは、場外で角材を手にします。当時はリング下のエプロンの中に放送機材や建築資材が仕舞い込まれており、バーナードはそれを取り出したのです。
7月8日更新号でも書いたように、大木は日本プロレスきっての頭突きの使い手。母国の韓国でいうところのパッチギを得意としていました。
角材を手にして、バーナードは野獣の血がたぎったのでしょう。角材を容赦なく大木の頭上めがけて振り下ろします。
ところが、です。大木が首をほんの少し右にひねった瞬間、角材が左耳を直撃しました。推測ですが、大木は頭の中でも一番固い部分である前頭部で、これを受けようとしたのではないでしょうか。首をひねったのは、反動をつけて角材を向かえ打とうとしたのかもしれません。見方によっては角材にヘッドバットを見舞おうとしたようにも映りました。
もし首尾よく角材が大木の前頭部を直撃し、大きな音を立てて真っ二つに折れていたら、観客は大喜びだったでしょう。パッチギ王の面目躍如です。
パッチギ王対野獣
その直後、私がバーナードなら、折れた角材を大木の額に突き刺し、自らの残忍性をアピールしたでしょう。これならウィン・ウィン。パッチギ王も野獣も顔が立ちます。
しかし、狙った通りには事が運ばないのがプロレスの面白いところです。先述したように、角材はわずかに大木の頭をそれ、左耳を直撃してしまったのです。
次の瞬間、大木の左耳からは噴水のように血が噴出し、胸元は鮮血で染まりました。大木の耳は半分ほど千切れ、ブラブラしていたといいます。これが世に言うバーナードによる“大木耳そぎ”事件です。
一部に、外国人レスラーが嫌う頭突きを、これでもかと言わんばかりに見舞ってくる大木を制裁するため、バーナードがその役を買って出たという説もあるようですが、それはちょっと穿ち過ぎでしょう。
仮に、もしそういう“黒い意図”があったのだとすれば、バーナードは角材を上から振り下ろすのではなく、耳めがけて、横から叩いていたはずです。
むしろ、あの事故はバーナードが角材の操作を誤ったというより、大木が首を右にひねったことで起きました。用意していた最大の見せ場が最大の修羅場になってしまったことは、両者にとって誤算だったでしょう。
とはいえ、この事故がきっかけでバーナードは日本でもヒールとしての地歩を固め、大流血しながらも試合を続行したことで、大木にはタフなイメージが加わりました。結果的に2人にとっては悪くない事故だったはずです。
試合は1対1の3本目、猪木がコブラツイストでメインを仕留め、決着がつきました。わずか2分7秒。大木は着替えもせず、その足で病院に直行しました。
二宮清純