2025年1月13日(月)更新
「こんばんは」救ったアニマル浜口
小柄ゆえの“唯一無二のファイター”
アニマル浜口の名前が、一躍クローズアップされたのは、1981年9月23日の新日本プロレス田園コロシアム大会です。同年8月、浜口の所属していた国際プロレスは経営不振により崩壊し、ラッシャー木村、寺西勇とともに「国際軍団」の一員として新日本のリングに上がりました。
「勝つのはオレたちだ!」
リング上で保坂正紀アナウンサーからマイクを向けられた木村の第一声は、今も語り草です。
「こんばんは」
敵地にヒールとして乗り込んだ以上、威勢のいい啖呵のひとつや二つは切らないといけないところですが、木村は実直で誠実な人です。プロレス会場には似つかわしくない言葉を発してしまったのです。会場のファンから失笑が起きたのは言うまでもありません。
この窮地を救ったのが浜口です。木村からマイクを取り上げた彼は鬼のような形相でエースのアントニオ猪木を指さし、こう叫びました。
「勝つのはオレたちだ!」
観客から浜口に向かって罵声が飛んだ時、一番ホッとしたのは猪木だったかもしれません。
後年、浜口に“こんばんは事件”の真相について訊ねました。
「あれは木村さんの性格が出ましたね。素のままの木村さんが出たとでもいうのかな。
オレはね、国際プロレスからずっと一緒にやってきたけど、あの人が怒ったところを一度も見たことがない。自分をいつも抑えつけ、耐えしのんで生きてきた。人の悪口なんてね、一度も聞いたことがありません。オレには絶対に真似できない生き方をしてきた人ですよ」
そしてこう続けました。
「オレはね、たまには人の悪口を言ってもいいと思うんです。わめいたり、怒ったり、腹が立ったら殴ったり、時には暴れてもいいじゃないですか。オレなんか酒ぐせ悪いから、しょっちゅう暴れてましたよ(笑)」
A猪木への敬意
――田園コロシアムのリングでは、浜口さんの一言が助け舟となりました。
「いや、あれも意図して出た言葉ではない。もう必死だったんです。あの時、オレたちが闘う場所はあそこ(新日本)しかなかったんだから……」
木村も浜口も追い詰められていたことにかわりはありません。しかし、それを、より強い言葉で表現したのが浜口でした。
「それはオレの体が小さかったことと無関係ではないね。国際プロレスの時から、とにかくナメられまい、と思って毎日闘ってきた。
実際、いざリングに上がると“オレが一番だ!”という気持ちでファイトしていました。“オレが日本のプロレスを背負って立つんだ”と。また、そのくらいの気持ちがないとやっていけなかった。
これはオレの持論なんだけど、男ってものはね、日本刀と一緒なんだ。いつも鞘におさめていてばかりじゃダメ。たまには抜いて刃を見せないと。ナメられたら最後、この商売はやっていけないんです。それは相手に対しても観客に対してもね。いや何の商売も同じじゃないですか」
浜口の話を聞いていて、スッと背筋が伸びる思いがしたものです。
そんな浜口に「理想のプロレスラーは?」と問うと、間髪入れずに「アントニオ猪木さん」という答えが返ってきました。
「あの人の試合に対する意気込みは、それはもの凄いものがあった。リングに上がった途端、“闘う獣”に変身するんだ。あの人と出会って、オレのレスリングは確実に一段階か二段階アップした。また今まで見えなかったものが突然、パッと見えてきた。プロレスとは何か。猪木さんには、それを身をもって教えてもらいました」
猪木も闘志をむき出しにして向かってくる浜口のファイトスタイルを高く買っていました。浜口の身長は公称178センチ。あと10センチ高ければ、大レスラーになっていたでしょう。一方で小柄ゆえの反骨心が唯一無二のファイターを生んだとも言えそうです。
二宮清純