2025年3月10日(月)更新
アントニオ猪木の“瀬戸際交渉術”
ソ連「レッドブル軍団」参戦秘話

今、アントニオ猪木さんが生きていたら、「ウクライナ戦争」終結に向け、独自の外交を展開していたのではないでしょうか。「世の中が乱れる時に、オマエの出番がくる」。もちろん“オマエ”とはアントニオ猪木さん自身のことです。生前、猪木さんには節目節目でインタビューしてきました。今回は1989年4月にソ連から「レッドブル軍団」が参戦、新日本プロレス初の東京ドーム興行を成功に導いた直後のインタビューの一部をご紹介致します。
ドン・キングの影
「これは誰に言われたのか忘れたんだけど、子供の頃に言われた言葉でね、まだ頭に残っているんです」
それが先に紹介した「世の中が乱れる時に、オマエの出番がくる」というものです。
「それに関係した話で、先導動物というのがいるらしい。アフリカのサバンナでインパラなんかが群れをなして草をはんでますよね。その時に一頭だけ耳を立て、何かを予知してダッと走る。すると、それにつられて皆も駆け出す。
人間の世界も、ある部分でこれに似たところがあると思うんです。見えない人には100回説明してもわかってもらえない。しかし、私にだけは見えてるってことがよくある。要は、私には“100%の世界”が存在するんです」
ややもするとオカルトめいた話ですが、「そんなことありません」と言ってしまったら、猪木さんとの会話は成立しません。
いくらミハイル・ゴルバチョフ大統領による「ペレストロイカ」(改革政策)と「グラスノスチ」(情報公開)が始まっていたソ連でも、猪木さんじゃなければ“赤い国”のソ連から格闘家を呼ぶことはできなかったでしょう。
猪木さんによると、ソ連当局との交渉において、最大の難局は、「アメリカのケーブルテレビ局との間で極秘に行っていたペーパービューの交渉がソ連にバレてしまった時」だったそうです。
「アメリカはケーブルテレビが発達していて、6000万世帯(当時)に普及している。その上がりがイベントによっては100億円にもなる。そうした話がドン・キングからソ連の高官に伝わったらしいんです」
KGBの“将軍”
ドン・キングといえば、ボクシング界の大立物。カネの匂いのするところには、必ず登場してくる超大物プロモーターです。
「それで、ソ連の関係者が怒った。“オマエらばかり儲けるなんて冗談じゃない。興行の売り上げは折半にしろ”と。その抗議があまりのもしつこいんで、オレはとうとう頭にきて目の前の書類をブン投げてやった。“もう、止めた!”ってね」
話が核心に迫ると、目がギラギラしてくるのが猪木さんの特徴です。
「しかし、その際に一言だけ言ってやった。“せっかくソ連のことを日本や世界に知ってもらうチャンスだったのに残念だ。私はこれで大きく信用を落とす。でも、同時にあなた方も世界的な信用を失うんですよ”と。すると、とんでもない大物が出てきた」
「それは誰ですか?」
私が思わず身を乗り出したのは言うまでもありません。
「KGB(ソ連の国家秘密委員会、現FSB)のバグダノフという男。まわりは“将軍”と呼んでいた。外務省の要人でも、なかなか会うことはできない、と後で言われました。
このバグダノフという男、なかなか紳士的で“とにかく話し合いましょう”と。それで互いにヒザを交えてペレストロイカの現状とかについて、いろいろと意見交換したんです。すると“将軍”が最後に“わかりました”と。“選手は必ず送り込みますから、ドーム大会は成功させてください”とエールを送ってくれました。それからまたひと悶着あったんですけど、私が歩む道に安全なところはありませんから。ハッハッハッ」
秩序なき大乱世のこの時代を、泉下の猪木さんは、どう見ているのでしょう。

二宮清純