2024年10月23日(水)更新

ドジャース対ヤンキース頂上決戦
大谷翔平“松井秀喜超え”なるか!?

 相撲で言えば、千秋楽での東西両横綱の“頂上決戦”ということになるのでしょうか。ワールドシリーズでロサンゼルス・ドジャースとニューヨーク・ヤンキースが激突するのは今回が12回目。過去の対戦成績はヤンキースが8勝3敗とドジャースを大きくリードしています。

ドジャース(大谷翔平・山本由伸所属)の放送予定はこちら

12回目の名門対決

 ドジャースは、元はといえばニューヨーク市ブルックリン区(旧ブルックリン市)を本拠としていた球団。ニューヨークには、今もブルックリン・ドジャース時代の「B」のイニシャルの帽子を被ってドジャースを応援しているオールドファンがいます。

 1958年に、同じニューヨークをホームとしていたジャイアンツ(現・サンフランシスコ)とともに西海岸に本拠を移しました。ナショナルリーグに所属する2球団が西海岸に移ったことでニューヨークには、アメリカンリーグに所属するヤンキースしか球団がなくなりました。

 ドジャースとジャイアンツのナ・リーグ2球団がニューヨークを去った4年後の1962年にエクスパンション(球団拡張)により誕生したのが、この秋、ドジャースがナ・リーグのリーグチャンピオンシップで下したニューヨーク・メッツです。もしドジャースとジャイアンツが残っていれば、ナ・リーグに加わるメッツは誕生していなかったかもしれません。

 前文でワールドシリーズでの対戦成績はヤンキースの8勝3敗と書きましたが、ワールドチャンピオンの回数はどうでしょう。ヤンキースは27回で堂々の1位。ドジャースは7回で6位です。

 このように自他ともに認める超名門のヤンキースですが、最後の“世界一”は2009年。もう今から15年も前のことです。

 前年の覇者フィラデルフィア・フィリーズを4勝2敗で下したワールドシリーズにおいて、日本人選手初のMVPに選出されたのが松井秀喜さんでした。

 このシリーズでの松井さんの八面六臂の活躍は、今も語り草です。13打数8安打3本塁打8打点、打率6割1分5厘。6試合を戦ったにしては打数が少なかったのは、当時、ナ・リーグはDH制を採用しておらず、フィリーズの本拠地では代打での出場となったためです。

ゴジラの咆哮

 松井さんのバットが火を噴いたのはヤンキースタジアムでのゲーム2です。ボストン・レッドソックス時代には“天敵”だったペドロ・マルティネス投手から6回、ライトスタンドに勝ち越しのホームランを叩き込み、3対1の勝利に貢献しました。

 敵地でのゲーム3でも松井さんの勢いは止まりません。7対4の8回、代打で登場し、ダメ押しのソロホームランを今度はレフトスタンドに運びました。

 松井さんにとって、忘れられない日となったのは、3勝2敗と王手をかけて迎えたヤンキースタジアムでのゲーム6です。5番DHで出場した松井さんは、マルティネス投手からライトスタンドに先制2ラン。3回、5回にもタイムリーを放ち、1試合6打点のワールドシリーズタイ記録をつくりました。

 試合は7対3でヤンキース。MVPのトロフィーを掲げながら松井さんは「夢みたい。何かの力が働いたんだと思います」と喜びを噛み締めるように語りました。

 この時、大谷翔平選手はまだ中学生でした。松井さんについて聞かれると「生では見ていないけど、MVPを獲られたのは知っていますし、ハイライトは何回も見たことがあります」と語っていました。

 松井さんはポストシーズンゲームに滅法強く、56試合で打率3割1分2厘、10本塁打、39打点の成績を残しています。強いチームにいなければ、これだけの出場機会を得ることはできません。逆説的にいえば、常勝軍団ヤンキースでレギュラーを張り続けた松井さんの偉大さがしのばれます。

 そして、この記録を塗り替える日本人選手が現れるとしたら、やはり大谷選手をおいて他にはいないでしょう。今年の秋は長くなりそうです。

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二宮清純

二宮清純 スポーツジャーナリスト

1960年、愛媛県生まれ。
スポーツ紙や流通紙の記者を経てフリーのスポーツジャーナリストとして独立。オリンピック・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。明治大学大学院博士前期課程修了。広島大学特別招聘教授。大正大学地域構想研究所客員教授。「スポーツ名勝負物語」「勝者の思考法」など著書多数。

メジャーリーグもプロ野球も。

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