2025年5月28日(水)更新
NPB時代も含め、プロ野球人生で初の“中5日”での登板は凶と出ました。5月9日(現地持間)のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦で5回途中降板したロサンゼルス・ドジャース佐々木朗希投手は、その4日後、右肩の「インピンジメント症候群」と診断され、故障者リスト入りしました。現在もまだ、復帰の目処は立っていません。
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13日(現地時間)、ドジャースのデーブ・ロバーツ監督は試合前の会見で、こう語りました。
「我々が知っていることは、彼には去年と同じ肩のインピンジメント(圧迫・衝突)があるということ。彼は数週間前から違和感があったようだが、我々の投手陣の現状を踏まえ、パフォーマンスに影響が出るまで我慢したいと考えていたようだ。
しかし、その後彼は身体の状態を知らせてきたため、我々がケアを優先して昨日検査を行った結果、肩にインピンジメントが見つかった。
幸運にも彼の状態は悪くなかったので、他の投手と同じく念のため注意深く対応し、彼を故障者リストに入れて落ち着くまで休養させる。しっかり回復させて完全にいい状態に戻し、再び投げられるようにしたい」
そもそもインピンジメント症候群とは、どういう症状を言うのでしょうか。多くのアスリートの治療にあたってきた南松山病院副院長の坂山憲史医師(整形外科)に話を聞きました。
「投球による肩インピンジメント症候群とは、投球動作中に組織同士の衝突現象(インピンジメント)により生じた疼痛やひっかかりなどの病状をいいます。肩関節を構成する骨は、上腕骨、肩甲骨、鎖骨があります。投球の際、肩甲骨と上腕骨の骨軸が一致(上腕骨頭の求心位)することが重要です。
例えば、投球の切り返し(レイトコッキング期)で、この軸が乱れると棘上筋や棘下筋(インナーマッスルのひとつ)と関節唇がぶつかって、挟み込まれること(インターナルインピンジメント)で疼痛やひっかかりが生じます。
そのような投球を繰り返すと、棘上筋や棘下筋の関節包面の部分断裂や関節唇の損傷を生じてしまいます。また、三角筋の下には4つの筋肉からなる腱板(Rotator Cuff:ローテイターカフ:前から肩甲下筋、棘上筋、棘下筋、小円筋)があります。この三角筋と腱板との間で摩擦によって衝突(インピンジ)が生じて肩峰下滑液包に浮腫や出血が生じる状態や、主に棘上筋や棘下筋内部の関節唇(かんせつしん)部分で衝突が生じるものなどがあります。佐々木投手の場合、症状からして腱板が断裂しているほどの重症とは思えませんが、肩板の損傷については十分考えられます。
彼は、さまざまな原因により、この軸が乱れて本来の投球ができなくなった可能性があります。今は骨や筋肉や軟骨などのこすれを取り除くため、しばらく肩を休める必要があるでしょう」
周知のように佐々木投手は、千葉ロッテマリーンズ時代、球団の方針により大事に大事に育てられてきました。
入団初年度の投手コーチで、後に監督になる吉井理人さんは、22年5月2日放送のNHK『スポーツ×ヒューマン』で、このように話していました。
「(昨季までは)試合に出てないけれど、それが彼の戦いじゃないですか。もう今は2年間きっちりやって体ができあがっているから、じっと我慢していたのが出た。この3年目に、こういう結果が出たというのは(育成として)大正解じゃないですか」
1年目、佐々木投手は体作りに専念し、1軍のみならず、2軍の試合にも1度も登板していませんでした。2年目に3勝(2敗)を挙げますが、中6日が1度あるだけで、基本的にベンチは、中10日以上のインターバルを与えていました。
吉井監督が「大正解」と評した3年目、佐々木投手は20試合に登板し、9勝4敗、防御率2.02という好成績を残します。4月10日のオリックス・バファローズ戦では、史上16人目となる完全試合を達成しました。
しかし、この年も基本は中6日。13度目の登板から14度目の登板にかけては、32日間もマウンドに上がりませんでした。
7勝(4敗)をあげた23年、自身初の10勝(5敗)をマークした24年も、中6日が基本で、21年、22年同様、長期離脱がありました。
ローテーション投手として、いわゆる「完走」経験のないことが、MLB挑戦にあたっての彼の最大の懸念材料でしたが、残念ながら現実のものになってしまいました。
一部に「まだ体のできていない佐々木に中5日は酷だ」との声もあります。とはいえ、MLBで中5日の登板は、先発ピッチャーの務めです。もちろん、それをわかった上で、佐々木投手も海を渡ったはずです。ケガに強い体をつくって出直すしかありません。
米国のメディアから「ガラスのエース」とレッテルを貼られないためには、「まずは栄養をしっかりとって体をつくる。食事や睡眠など、生活の基本から見直す必要がある」と坂山医師は語っていました。
二宮清純
1960年、愛媛県生まれ。
スポーツ紙や流通紙の記者を経てフリーのスポーツジャーナリストとして独立。オリンピック・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。明治大学大学院博士前期課程修了。広島大学特別招聘教授。大正大学地域構想研究所客員教授。「スポーツ名勝負物語」「勝者の思考法」など著書多数。