2026年4月22日(水)更新
ドジャースの大谷翔平選手が止まりません。4月10日(現地時間)、ドジャースタジアムでのテキサス・レンジャーズ戦で、昨シーズンから続く連続出塁を44試合に伸ばし、イチロー選手が持っていた43試合の日本人MLB連続試合出塁記録を更新しました。この記録は4月20日(現地時間)現在、52試合にまで伸びています。
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大谷選手が“イチロー超え”を果たしたのは4対3と1点ビハインドの5回裏でした。1死一塁でクマール・ロッカー投手の外角スライダーを長いリーチをいかしてライト前に弾き返しました。
特筆すべきは四球の多さです。44試合で放ったヒットが47本(うちホームランが14本)であるのに対し、四球数は34。これについて大谷選手は「もらえるものはもらうし、ストライク(ゾーン)にきたら振る」と語っています。もちろん「もらえるもの」とは四球のことです。打席が多く回ってくる1番打者であることも、この連続試合出塁記録を後押ししているようです。
デーブ・ロバーツ監督も「ショーヘイは勝負してこないなら、四球を受け入れるべきだと理解している」と大谷選手のアットバットに全幅の信頼を寄せています。
ホームランも打てば四球もとれる。出塁すれば、走ることもできる。はやりの言葉で言えば、大谷選手は「無双」の1番打者です。
しかし、こと連続試合出塁記録となると、上には上がいます。
1位 テッド・ウィリアムズ 84試合(1949年)
2位 ジョー・ディマジオ 74試合(1941年)
3位 テッド・ウィリアムズ 73試合(1941~42年)
(SABR/Single-season OGOBS streaks of 50 or more games)
1位の記録を持つテッド・ウィリアムズさんは、言うまでもなくMLB最後の4割打者(41年=4割6厘)です。レッドソックス一筋で19シーズンプレーし、通算2654安打をマークしています。
個人タイトルは首位打者6回(41、42、47、48、57、58年)、ホームラン王4回(41、42、47、49年)、打点王4回(39、42、47、49年)。被四球数は8回(41、42、46、47、48、49、51、54年)もア・リーグトップの数字をマークしています。
当時、ウィリアムズさんの選球眼は「審判よりも正確だった」と言われていました。こんな逸話まで残しています。
それは彼がワシントン・セネタースの監督をしていた1972年のスプリングトレーニングでの出来事です。54歳のウィリアムズさんは相手のリクエストに応じて打席に立ったそうです。
審判はMLBの名物審判ロン・ルチアーノさん。その時の模様を、自著にこう書いています。
<彼がバットの胴の部分に松やにを塗って打席に入る。投手には豪速球を投げる新人投手が指名された。私は悲しい結末を予測して大きな嘆息をつかずにはいられなかった。
ところが、若い投手がボールを投げると、ウィリアムズはセンターへロケット弾を打ち込んだのである。「縫い目はひとつだ」。彼が肩ごしに自信たっぷりに叫んだ。
「そうだな、テッド」。私は素直に同意した。私には彼がまだバットにボールを当てることができるだけで満足だった。が、もどってきたボールを見ると、彼のいうとおり縫い目のひとつに松やにがついていた。
彼がつぎのボールを打った。「あのXXXな縫い目の5ミリ上だ」
確かに縫い目のちょうど5ミリ上に松やに跡がついている。その調子で彼は7球のうち5球までを見事に言い当てた>(『アンパイアの逆襲』井上一馬訳・文春文庫)
これを神業と呼ばずして何と呼べばいいのでしょう。ウィリアムズさんこそは「神の眼を持つ男」だったのです。
話を大谷選手に戻しましょう。MLB史上2位となる4回のMVP受賞など、余りある勲章を持つ大谷選手にとって、シーズンをまたぐロングタームでのこの記録は、大きな励みとなっているはずです。少々気が早い話ですが、“イチロー超え”の次は“ウィリアムズ超え”に挑戦してもらいたいものです。

二宮清純
1960年、愛媛県生まれ。
スポーツ紙や流通紙の記者を経てフリーのスポーツジャーナリストとして独立。オリンピック・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。明治大学大学院博士後期課程修了・博士(学術)。広島大学特別招聘教授。大正大学地域構想研究所客員教授。「スポーツ名勝負物語」「勝者の思考法」など著書多数。