2026年5月27日(水)更新
シカゴ・ホワイトソックス村上宗隆選手の打棒が止まりません。5月24日現在(現地時間)、17本塁打はア・リーグトップタイ、34打点は4位、OPS.906は6位。現地メディアの多くが、村上選手を新人王の有力候補と見なしています。
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日本人選手のMLB新人王は、以下に示すように過去4人います。
1995年=野茂英雄(ナ・リーグ、ロサンゼルス・ドジャース)
2000年=佐々木主浩(ア・リーグ、シアトル・マリナーズ)
2001年=イチロー(同)
2018年=大谷翔平(ア・リーグ、ロサンゼルス・エンゼルス)
気の早い話ですが、村上選手が新人王に選ばれれば、日本人5人目ということになります。
さて、MLBでは新人王のことを「ジャッキー・ロビンソン賞」(正式名称はジャッキー・ロビンソン・ルーキー・オブ・ザ・イヤー賞)と呼びます。
アフリカ系米国人初のメジャーリーガーとして、1947年にデビューしたドジャースのジャッキー・ロビンソンさんの偉業を称え、87年から彼に名前が冠されるようになりました。
ロビンソンさんはニグロリーグを経て、47年から56年までの10シーズン、ブルックリン・ドジャースでプレーし、通算1518安打をマークしています。新人王(47年)、MVP(49年)、首位打者(49年)、盗塁王には2度(47、49年)輝いています。
ロビンソンさんをドジャースに招いたのは、当時の球団会長で弁護士の資格を持つブランチ・リッキーさんでした。ブルックリンはアフリカ系米国人が多く、「商才に長けたリッキーは、金儲けのためにロビンソンを利用した」という心ない声もありましたが、ロビンソンさんは、自著『ジャッキー・ロビンソン自伝』(ベースボール・マガジン社、宮川毅訳)で、<もちろん、その点は百も承知している>と断った上で、こう述べています。
<リッキー氏の決定の裏には、金銭以上のもがあったはずだ。彼の家族が、彼の健康が心労のため冒されてゆくことを恐れて、私を大リーグに入れる計画を中止するよう説得していたことを、私は知っている。仲間や球界の大立て者は、彼の決心を変えさせようと、あらゆる手段で働きかけた。二、三の新聞は、彼をおろか者だとか、煽動家だとか非難した。しかし、彼は屈服しなかった>(同前)
当時、MLBはア・ナの2リーグ16球団制でしたが、ドジャースを除く15球団のオーナーが、ロビンソンさんがMLBでプレーすることに対し、反対の意を表明しました。
こう書くと、ドジャースのチームメイトだけがロビンソンさんの味方だったと思われるかもしれませんが、実際は、そうではありませんでした。
再び自著から引きます。
<チームメイトのうち幾人かは、私が黒人であることから、自分たちの仲間としてチームに受け入れるのを拒んだ。私の回りには、反発と拒絶の空気が渦巻いていた>(同前)
まさに四面楚歌だったのです。そんなロビンソンさんに対し、リッキーさんは、どんなに差別を受けても「やり返さない勇気を持つように」と諭します。挑発に乗って一悶着起こしてしまえば、立ちどころにロビンソンさんの居場所はなくなってしまいます。日本風に言えば臥薪嘗胆の日々が、ロビンソンさんを偉大なプレーヤーへと押し上げたのです。
ところで日本人新人王第1号の野茂さんは、ニューヨークで行なわれた表彰式での、ア・リーグMVPモー・ボーンさん(当時ボストン・レッドソックス)のスピーチが忘れられません。
「今の若い選手は、もっと古い選手を尊敬しなければならない。私がこんなところに立てるのも、元はといえばジャッキー・ロビンソンがいてくれたおかげなのだ」
参考までに紹介すれば、ロビンソンさんは62年、リッキーさんは67年に殿堂入りを果たしています。

二宮清純
1960年、愛媛県生まれ。
スポーツ紙や流通紙の記者を経てフリーのスポーツジャーナリストとして独立。オリンピック・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。明治大学大学院博士後期課程修了・博士(学術)。広島大学特別招聘教授。大正大学地域構想研究所客員教授。「スポーツ名勝負物語」「勝者の思考法」など著書多数。