2022年10月7日(金)更新 [臨時号]
【追悼】平和の戦士・アントニオ猪木<前>
命懸けでイラクに乗り込んだ勇気と行動力
アントニオ猪木さんが闘いの場をリングから国会に移したのは、1989年7月です。第15回参院選に「スポーツ平和党」を結成して立候補し、99万3989票(比例区)を集めて当選しました。
国会議員になっての最初の大仕事は日本人人質の解放でした。90年8月のイラクのクウェート侵攻に端を発した湾岸戦争に至る過程で、イラクは日本人41人を「ゲスト」という名の人質として本国に連行します。政府間の人質解放交渉が難航する中、単身乗り込んだのが猪木さんでした。
しかし、猪木さんの行動に対しては批判的な声が多く、「スタンドプレー」「プロレスラー上がりに何ができる!?」「政府間交渉の邪魔をするな」といった“苦情電話”が議員会館に引っ切りなしにかかってきたそうです。今なら“ネットで大炎上”といったところでしょうか。
国会議員からは、次のような声も上がりました。
「猪木さんの勇気と行動力には敬意を表します。ただ、彼は彼なりのポーズをとっているだけでイラクにいる邦人全員が帰ってくるわけではないし、世界全体の政治を変えるという観点からすれば影響力はゼロに等しいですね」(自民党・柿澤弘治議員)
この頃、私は猪木さんに関する連載を週刊誌に持っており、議員会館に足しげく通いました。先のコメントを見た猪木さんの反応は、こういうものでした。
「行動が伴わなければ意味がない」
「自分が安全なところにいて、人のとった行動をあげつらう。人間として非常に寂しいというか、心の貧しさを感じざるを得ないね。
政治家のみならず、私のとった行動を批判する役人や評論家はたくさんいた。皆、言うことは立派なんだよ。しかし、どんな立派な発言も、行動が伴わなければ、全く意味がないんだ。
第一、偉そうに国連がどうの、(サダム・)フセインがどうのと批判したところで、人質が返ってくるわけでもない。自衛隊の派遣問題も含めて、人質の安全を考えれば、本来は軽々しく口にすることじゃないのに、この国の知識人たちは人の痛みがわからないから、“床屋政談”のようにしゃべってしまうんだ。まさしく“百害あって一利なし”だね」
そんな中、猪木さんの行動に理解を示す人たちも現れてきました。そのひとりが人質の家族でつくる「あやめ会」の長谷川悠紀子会長でした。
「私たちは口先ばかりの人より、猪木さんのように行動を起こす人を信じます」
意気に感じる猪木さんにとっては、背中を押される言葉だったかもしれません。
バグダットに向けて成田を飛び立つ前、猪木さんは結婚し、生まれたばかりの子どもとともに記念撮影をしました。
「何かあれば、それを遺影にしてくれ」
そう言い残し、機上の人となったのでした。
(後編につづく)
二宮清純