2024/4/13(土)放送 パラスポチアーズ!
〜パラアスリート全力応援〜

2大会連続のパリパラリンピック出場を目指す 車いすフェンシング 藤田道宣選手と、2004 年のアテネパラリンピックで、初出場ながら銅メダルを獲得したアーチェリーの平澤奈古選手をご紹介。

藤田 道宣

藤田 道宣

車いすフェンシング

海水浴中の事故で突然の車いす生活に…人生の目標を失い、病室に引きこもる日々から救ったのは、オリンピックメダリストで先輩の太田雄貴さんとの熱い約束…「オリンピックでメダルを獲る、藤田はパラリンピックでメダルを獲れ」

平澤 奈古

平澤 奈古

パラアーチェリー

アテネ2004パラリンピック銅メダリスト。51歳でもなお、弓を引き続けるレジェンドアーチャー。生まれつき四肢に障がいがあり運動とは無縁の生活から一転、パラアーチェリーにハートを射抜かれたワケとは?

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応援団長の中山秀征がパラスポーツを体験しながら、ルールやテクニックなどを解説し、その魅力に迫るとともに、パラアスリートの熱い思いを聞く。
第2回は車いすフェンシング男子の藤田道宣選手と、パラアーチェリー女子の平澤奈古選手を紹介する。

突然の事故で暗闇に沈む中、先輩の言葉が進む道を照らす光に

1986年生まれの藤田選手は、高校時代にフェンシングを始め、インターハイに出場。大学進学後も競技を続け、将来を嘱望されていた。しかし19歳のとき事故で首を骨折。胸から下にまひが残り、車いす生活を余儀なくされた。「人生が真っ暗になるような感覚がありました」と当時を回想する。しかし暗闇に光が差し込む出来事があった。高校の1年先輩である太田雄貴選手から「車いすフェンシングを始めて、パラリンピックを目指したらどうだ」と提案され、「自分はオリンピックでメダルを獲るから、藤田はパラリンピックで獲れ」と告げられたのだ。なお、太田選手は言葉通り、北京2008オリンピックと、ロンドン2012オリンピックで銀メダルを獲得している。

カテゴリーの壁を乗り越え、夢を叶えるため挑戦を続ける

太田選手の言葉に勇気づけられ、新たな挑戦を始めた藤田選手だったが、すぐに大きな壁にぶつかった。車いすフェンシングは、障がいの重さによってA、B、Cの3つカテゴリーに分かれている。藤田選手が属するのは、最も重いカテゴリーC。ところがこのカテゴリーは、パラリンピックでは実施されていない。そのため藤田選手は、カテゴリーBで戦わなければならなかった。「カテゴリーCの選手がBで結果を出すのは不可能と言われていました。でも重度障がいのCの選手でも、努力すれば花が開くんじゃないか。それで障がいのある方に少しでも希望や勇気を与えられたら、僕が競技をする意味があるんじゃないか」。そう考え、競技に打ち込んだ藤田選手は、障がいを負う前の経験をベースに練習と実績を積み重ね、東京2020パラリンピックに出場する夢を実現した。だがもうひとつの夢であるメダルには届かなかった。藤田選手は当時の心境を、「太田先輩は『よく頑張った』と声をかけてくれましたが、結果を残せなかった申し訳なさがあった」と振り返る。「結果を残すことで、支えてくれた家族や友人、道標を与えてくれた太田先輩へ恩返しをしたい」と考える藤田選手は、すぐに次のパリ大会に目標を定めた。 
 そんな藤田選手に、応援団長の中山秀征がインタビュー。中山が握力の低下について質問すると、驚きの答えが。藤田選手がいかに困難な条件下で戦っているかを改めて感じさせる。また、目標を尋ねると、パリ大会出場を決める前だったため、「まず出場権をつかみたい。そしてパリでメダルを獲得できるよう頑張ります」と力強い答えが返ってきた。藤田選手はその後、パリ大会の出場権を勝ち取り、男子フルーレ個人・団体、男子エペ個人・団体に出場。残念ながらメダル獲得はならなかったが、諦めない心で夢を叶えるため、これからも挑戦を続けていく。

競技への愛で60歳でのパラリンピック出場を目指す

諦めず挑戦を続けているのは、1972年生まれの平澤選手も同じだ。パラアーチェリーは一般的な弓=リカーブを使う「リカーブオープン」、力が弱くても矢が放てるよう上下の両先端に滑車がついた弓=コンパウンドを使う「コンパウンドオープン」、そしてW1(四肢に障がいがあり、車いすを使用)の3部門に大別される。平澤選手はコンパウンドオープンの選手だ。生まれつき四肢に障がいがあった平澤選手は、運動とは無縁の生活を送っていたが、24歳のときにアーチェリーを体験し、競技を始めた。「すごく楽しくて、毎日暗くなるまで練習した」という。それから7年を経たアテネ2004パラリンピックで銅メダルを射止めた。その12年後のリオデジャネイロ2016パラリンピックにも出場したが、東京大会、パリ大会への出場は叶わなかった。しかし競技を退く選択肢はなく「次の2028年のロサンゼルス大会に出たいし、その次の2032年のブリスベン大会に60歳で出場することを目標にしています」と笑う。平澤選手の原動力は競技への愛。「好きなのでずっと続けたいし、よろよろのおばあちゃんになっても試合に出たい」。平澤選手は4年後、8年後、さらにその先を見据え、的を狙い続ける。

文/佐藤新

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