2024/4/27(土)放送 パラスポチアーズ!
〜パラアスリート全力応援〜

パリ2024パラリンピック日本代表に内定!メダル最有力候補!パラテコンドー初代日本代表・工藤俊介選手と、警察官とアーチェリーの二刀流!パラアーチェリー・大山晃司選手をご紹介。

工藤 俊介

工藤 俊介

パラテコンドー

パラテコンドー界日本屈指の実力者。2018年からパラテコンドーをはじめ、翌年行われた世界選手権でいきなり銅メダルを獲得。競技歴わずか2年で初代日本代表に上り詰めたメダル最有力候補。「家族をはじめ、支えてくれた人たちのためにもメダルを獲りたい」

大山 晃司

大山 晃司

パラアーチェリー

東京2020パラリンピック出場。口で弓を引き、矢を放つパラアーチャー。「障がいを負ってパラアーチェリーと出会えて、こうして生き甲斐としてスポーツができたというのは、大きな喜び」と語る前向きな選手。警視庁勤務の顔をもつ

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応援団長の中山秀征がパラスポーツを体験しながら、ルールやテクニックなどを解説し、その魅力に迫るとともに、パラアスリートの熱い思いを聞く。
第4回は、パラテコンドー男子の工藤俊介選手と、パラアーチェリー男子の大山晃司選手を紹介する。

多彩な蹴り技を駆使するパラテコンドー初代日本代表

応援団長・中山秀征が練習拠点を訪れると、パラテコンドー初代日本代表である工藤選手が多彩な蹴り技をミットに打ち込んでいた。パラテコンドーは頭部への攻撃は禁止され、胴体への蹴り技のみでポイントを争う。通常の蹴りは2点、180度回転しての後ろ蹴りは3点、後ろ蹴りから軸足を入れ替える360度の回転蹴りは4点。技の有効性の判定は、選手が装着する電子防具によって行われる。防具にセンサーが入っていて、蹴りのパワーを感知してポイントがつくのだ。中山が「決まったと思っても、機械が反応しなかったら得点にならない?」と質問すると、工藤選手は「よくあります」と答える。いかに強く正確に蹴りを当てられるかが勝敗のカギを握る。

家族を安心させるために競技を始め、パラリンピックに出場

1993年生まれの工藤選手は、体を動かすことが好きで、さまざまな競技を経験してきた。しかし大学卒業後の23歳のとき、勤務先で思わぬ事故に巻き込まれ、左上腕部を切断した。「まさか自分がそんなことに」と思ったそうだ。また、「家族や周りにも心配や迷惑をかけたと思います」と振り返る。心配をかけた家族の姿が頭から離れず、どうすれば安心してもらえるかと考えていたとき、パラテコンドーの存在を知った。東京2020パラリンピックから正式な競技になり、日本代表になることができれば、開催国枠で東京大会に出場できるという内容の記事を目にしたのだ。当時の国内の競技人口は10人ほど。チャンスがあると感じた工藤選手は、家族を安心させるため、また左腕をなくしたからこそ新たな可能性が広がるかも、という思いもあってチャレンジを決めた。そして、「初めて蹴ったときの感触が気持ち良くて。障がいがあってもこんなに楽しく体を動かせるんだ」と競技にのめり込み、日本代表に選ばれた。競技開始から3年後、工藤選手は東京大会の出場権をつかみとり、本番で男子75kg級7位に入賞。「ご家族に笑顔は戻りましたか?」と問う中山に、「『頑張ったね』とよく言われます」と、工藤選手も笑顔で答えた。メダルを狙ったパリ大会は、男子70kg級5位入賞と目標に届かなかったが、家族は「頑張ったね」と笑顔で声をかけてくれたはずだ。

絶望の底から奮起し、競技を通じて生きがいを得る

大山選手は四肢に障がいがあり、車いすを使用する「W1クラス」の選手。両手足に障がいがあるため、左手で弓を持ち、弦を口でくわえて引き、矢を放つ。しかし、このスタイルをものにするまでには多くの苦労があった。「口で放つときのリリースをどうしたらいいのか分からず、口の中が血だらけになったりしました」という。1991年生まれの大山選手は、体操部に所属していた大学時代に練習中の事故で頸椎を損傷し、首から下にまひが残った。「絶望しか感じなかったですね。自分がやりたいことや夢が一気に崩れ落ちた」と当時を回想する。しかし主治医の言葉が大山選手を突き動かした。「『ケガをしてからの1年が大事。この1年、死ぬ気でリハビリを続ければ体が大きく変わるかもしれないから頑張りなさい』と。胸に刺さりました」。大山選手はリハビリに取り組み、夢だった警察官を目指して公務員試験を受験し、23歳で警視庁に合格。そしてケガから3年半後の2016年、パラアーチェリーを始めた。右腕がない選手が左腕で弓を持ち、弦を口でくわえて射る動画を見たのがきっかけだった。「このスタイルなら自分でもできるかもと思いました」。それから大山選手は、口の中を血だらけにしたりしながら練習に明け暮れ、競技開始から1年で全国大会で優勝。東京2020パラリンピックに出場し、男子個人と混合団体でともに6位に入賞した。「障がいを負ったのはいいことではなかったけど、負ったからパラアーチェリーと出会えて、生きがいとしてスポーツができているのは大きな喜びです」。残念ながらパリ大会には出場できなかったが、喜びを得た大山選手の競技者としての日々は続く。

文/佐藤新

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