2024/5/25(土)放送
パラスポチアーズ!
〜パラアスリート全力応援〜
パリ2024パラリンピック日本代表に内定!東京大会メダル3個のパラ水泳・富田宇宙選手と、過去二度銅メダルを獲得している車いすラグビーの今井友明選手が登場。
東京パラリンピックで銀メダル2つ、銅メダル1つを獲得!「広い心を持つように」という願いが込められた「宇宙」という名前…なんとプールを飛び出し、宇宙飛行士に!?パリ大会での活躍、そして大きな夢へ向かって進む富田選手の挑戦は続く!
今年の国際大会で世界ランク1位のアメリカを破り優勝!今、勢いに乗っている日本代表チームで長年守備の要をになっている今井選手。競技を始めた当初は「なんて野蛮なスポーツだ」と思っていたのだそう…
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応援団長の中山秀征がパラスポーツを体験しながら、ルールやテクニックなどを解説し、その魅力に迫るとともに、パラアスリートの熱い思いを聞く。
第8回は、パラ水泳男子の富田宇宙選手と、車いすラグビーの今井友明選手を紹介。
見えないことをプラスに変えるためパラリンピックを目指す
スピーディーかつリズミカルな泳ぎが持ち味の富田選手は、S11/SB11/SM11クラスのパラスイマーだ。アルファベットは泳法、数字は障がいの程度を表し、11は視覚障がい3クラスのうち、もっとも障がいが重いクラスで、光の強さが分かる程度の視力しかない。1989年生まれの富田選手は、健常者として3歳から水泳に取り組んでいたが、16歳のとき、成長とともに視力が失われていく網膜色素変性症に。インタビューを行った応援団長・中山秀征が当時の心境を訪ねると、富田選手は「(病気の進行は)徐々になので、日常は続いていく。(周囲には)昨日までと変わらない友だちがいて、将来に希望を持っている。自分だけがおいてけぼりになるような、孤独な苦しさがありました」と答える。周りと同じように生きたいと願った富田選手は大学に進み、就職する。しかし孤独感は変わらず、「自分が見えないことをプラスに変えられる場所はどこだろうと考えたとき、パラリンピックというものを見つけたんです」。
苦しかった人生を変えたパラスイマーは、宇宙を夢見る
東京でオリンピック・パラリンピックが開催されることが決まった2013年、富田選手は高校時代までの経験を生かそうとパラ水泳の道へ進んだ。しかしブランクもあってパラリンピック出場への手応えはつかめず。そこで技術を磨くため、28歳で日本体育大学大学院に進学し、健常者のトップ選手に混ざり特訓を重ねた。当初は練習についていけなかったが、それでも続けられたのは、「それまでの人生が苦しかったので、変えたい気持ちが強かった」からだ。2021年、目標だったパラリンピックの舞台に立った富田選手は、男子400m自由形(S11)銀メダルなど3個のメダルを獲得し、「変えたい気持ち」を形にした。そして「応援してくれるみなさんと喜びを分かち合えたら幸せ」という思いで臨んだ2024パリパラリンピックでも、400m自由形(S11)と100mバタフライで2大会連続の表彰台に立った。
富田選手には、競技での活躍以外にも夢がある。“宇宙のように広い心を持つように”という父親の願いが込められた名前を持つ富田選手は、「名前の影響で小さい頃から宇宙が大好きで、障がいが分かるまでは宇宙飛行士が夢でした」。その夢に近づくためにスカイダイビングに挑戦し、無重力状態も体験した。「宇宙に行けると思いますよ」と語りかける中山に応じた富田選手のひと言とは?夢を持ち、道を開く富田選手の挑戦は続く。
守備の要としてチームに貢献し、若手に経験を伝えるベテラン選手
車いすラグビーは、車いす競技の中で唯一タックルが認められている男女混合競技。1983生まれの今井選手は、この競技の日本代表チームで長年にわたり守備の要を担ってきた。しかし競技を始めた当初は「なんて野蛮な競技なんだ、(タックルで)当たって何が楽しいのと思った」と笑う。車いすラグビーは、選手に障がいの程度が重い順に0.5点から3.5点まで0.5点刻みで持ち点が与えられ、コート上の4人の持ち点を計8点以内にしなければならない。障がいが軽い選手は素早いチェアワークを生かし、主に攻撃を担う。一方、持ち点1.0の今井選手のような障がいが重い選手にも重要な役割がある。相手チームの選手をブロックし、味方の選手が自由に動けるようにすることだ。今井選手は、「障がいが重い選手がゴールへの道筋を作ることができる。それが魅力のひとつ」という。今井選手は事故により中学3年生で車いす生活になり、26歳で車いすラグビーの道へ。それから15年、リオデジャネイロ2016パラリンピック、東京2020パラリンピックと2大会連続の銅メダル獲得に貢献した。パリ大会の前には「経験をいかして頭を使ったプレーをすること、それを若い選手に伝えることも重要な役割だと思っています」と語っていたが、残念ながらメンバーから外れてしまった。しかし日本チームは悲願の金メダルを獲得。今井選手が若手に伝えたことが、チームの力になったはずだ。今井選手はテレビの解説席から悲願達成の瞬間を見届け、喜びに浸った。
文/佐藤新