パラスポチアーズ!~パラアスリート全力応援!~

2024/6/15(土)放送 パラスポチアーズ!
〜パラアスリート全力応援〜

10m先にある、わずか0.5mmの的を射抜くパラ射撃界の国内女王、水田光夏(みか)選手と、車いすバスケットボール界のレジェンド、香西宏昭選手が登場!

水田光夏

水田光夏

パラ射撃

中学生の時に手足の神経が麻痺し、筋力が低下していく進行性の難病と診断される。「未知なるものにチャレンジしたい」その思いでエアライフルを手に競技を始めた水田選手。指先の感覚がない中、鏡を見ながら、何度も練習を繰り返し手に入れたのが、集中力とメンタル。この2つを武器に、狙うは表彰台のど真ん中!

香西宏昭

香西宏昭

車いすバスケットボール

激しい攻防とスピーディーな展開で人気を誇る車いすバスケットボール。長年、日本代表のエースとして引っ張るのが香西宏昭選手。パラリンピック4大会連続出場し、東京2020パラリンピックでは、日本男子史上初となる銀メダル獲得に貢献!現在は、自分の経験を未来ある子どもたちに伝え次世代に繋げていきたいとアカデミーを立ち上げ、車いすバスケの楽しを伝えています。

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応援団長の中山秀征がパラスポーツを体験しながら、ルールやテクニックなどを解説し、その魅力に迫るとともに、パラアスリートの熱い思いを聞く。
第11回は、パラ射撃の水田光夏選手と、車いすバスケットボールの香西宏昭選手を紹介する。

500円硬貨ほどの大きさの的の中心に照準を合わせて弾を撃つ

パラ射撃は、上肢で銃器を保持して射撃するSH1と、上肢にも障がいがあり保持できないため規定のスタンドを使用するSH2の2クラスに大別され、さらに銃の種類や的までの距離などの組み合わせで、さまざまな種目に分かれる。右ヒジから先と左手の指先、両ヒザから先にまひがある水田選手はSH2に属し、混合10mエアライフル伏射が専門種目。10m先にある500円硬貨ほどの的を狙い撃つ種目で、得点は中心に命中すれば最高の10.9点になり、中心から0.25mm外れるごとに0.1点ずつ減点される。取材に訪れた応援団長・中山秀征が「真ん中に当てるのは難しいですか?」と質問すると、水田選手は「10.9点はなかなか出ないです」と答え、難しさを伝えようと実際に撃つ。すると10.9点が出た。水田選手も「ビックリしました」と笑う一発だった。

より丁寧な射撃を追求し、据銃と撃発を大事にするよう心がける

1997年生まれの水田選手は、3歳の頃からクラシックバレエを習い、踊ることが大好きだった。しかし中学2年生のとき、手足の神経がまひし、筋力が低下していく進行性の難病と診断される。踊ることもできず、ふさぎ込む日々の救いになったのは、「未知なるものにチャレンジしたい」と始めたパラ射撃だった。感覚がない部位があるため、鏡に写った自分を見て手首の角度など確認し、ほかの部位に覚え込ませながら練習を繰り返した。その努力が実り、2019年全日本選手権で初優勝。東京2020パラリンピックにも出場した。しかし結果は32位で予選敗退。「楽しむことはできたけど、出場するだけじゃダメなんだと思いました」と実感した。それからは世界で勝つため、「より丁寧な射撃をすること」を意識し、特に「据銃と撃発」を大事にするよう心がけた。据銃とは目標を狙うために銃床を肩につけて構える動作、撃発は弾丸を発射するため引き金を引く動作。それぞれいかにリラックスし、余計な力を入れず姿勢を保つかを追求した。その結果、国際大会で上位に進出し、パリ2024パラリンピック代表にも選ばれた。「自分の納得できるパフォーマンスを発揮したい」と意気込んで臨んだパリ大会は、見事に銅メダルを獲得。日本パラ射撃界初のメダリストになった水田選手は、これからも「丁寧な射撃」を追求していく。

長らく海外で活躍した経験を次世代につなげるため力を尽くす

車いすバスケットボールは、1チーム最大12人構成で出場は5人、5 回ファールすると退場になるなどのルールは一般的なバスケットボールと同じだが、大きな違いとして「持ち点制」がある。選手たちは障がいの程度で重い方から順に1.0点から4.5点まで0.5点刻みで8クラスに分けられ、コート上の5人の持ち点の合計を14点以内にしなければならない。長年、エースとして日本代表チームを引っ張った香西選手は、3.5クラスに属する。
 香西選手は1988年生まれ。先天性両下肢欠損で幼い頃から車いすで生活し、12歳で出会った車いすバスケに夢中になった。高校卒業後はアメリカに渡り、イリノイ大学へ進学。全米大学リーグのシーズンMVPを受賞し、卒業後はドイツ・ブンデスリーガで7シーズン、プロ選手として活躍した。日本代表としても北京2008パラリンピックから東京2020パラリンピックまで4大会連続でパラリンピックに出場し、東京大会では銀メダル獲得に貢献した。華々しいキャリアだが、2022年にひと区切りをつけ、海外生活を終えて帰国した。きっかけは「東京でメダルを獲ることができて、より責任感を感じた」こと。海外でプレーして得た自分の経験を子どもたちに伝え、次世代に繋げていきたいという思いからアカデミーを立ち上げ、車いすバスケの楽しさを伝えている。「うまくなっていると感じられるのは嬉しいこと。それをジュニア世代の選手たちにも感じてもらえたらいいなと思います。」日本代表はパリ大会に出場できなかったが、香西選手の思いを受け継いだ選手たちが次世代の日本代表になり、世界の舞台でメダルを争う日は遠くないだろう。

文/佐藤新

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