2024/7/13(土)放送
パラスポチアーズ!
〜パラアスリート全力応援〜
現在世界ランク3位、パリでは悲願のメダル獲得を目指す、ブラインドサッカーのキャプテン・川村怜選手を中山秀征が直撃。さらに神戸2024世界パラ陸上競技選手権大会でパリ大会出場の切符を勝ち取った、選手も登場!
日本代表キャプテンを務める川村選手。目の障がいで一度はあきらめたサッカーでしたが、ブラインドサッカーという競技と出会い再びピッチへ。ブラインドサッカーの難しさに最初は戸惑いもあったということですが、努力と情熱で日本代表のキャプテンにまで上り詰めました。
昨年世界パラ陸上に初出場。
その舞台でいきなり金メダルを獲得した期待の若手。神戸2024世界パラ陸上競技選手権大会では、自身が持つアジア記録にせまる
47秒86でかけぬけ銀メダルに輝きました
東京大会の金メダリスト。神戸2024世界パラ陸上競技選手権大会では、レースのために調整してきた競技用の車いすがなんと輸送中に故障。
急ごしらえの車いすで競技に挑み惜しくも銀メダル。
レース後はパリ大会での雪辱を誓いました。
齋藤由希子
パラ陸上競技【女子砲丸投げ(上肢障害)】
元砲丸投げ世界記録保持者の齋藤選手は、神戸2024世界パラ陸上競技選手権大会でシーズンベストとなる11メートル72センチを記録。
銅メダルに輝きパリ大会出場を決めました。
©J:COM
応援団長の中山秀征がパラスポーツを体験しながら、ルールやテクニックなどを解説し、その魅力に迫るとともに、パラアスリートの熱い思いを聞く。
第15回は、ブラインドサッカー日本代表主将の川村怜選手を紹介。また前回に続き、2024年の世界パラ陸上でパリへの切符をつかんだアスリートたちに迫る。
アイマスクを装着し、音だけの世界でボールを蹴る
ブラインドサッカーは視覚に障がいのある選手がプレーする5人制のサッカー。弱視のクラスもあるが、パラリンピックではB1クラス(全盲または、ほぼ全盲)の男子のみが実施される。ゴールキーパーは主に晴眼または弱視の選手が務め、フィールドプレーヤーは条件を同じくするためアイマスクを着用し、視覚を遮断した状態でプレーする。使用するボールは金属の粒が中に入っていて、転がると音が鳴る。選手はその音でボールの位置やスピードを把握しつつ、声を頼りにプレーする。相手ゴールの裏に立ってゴールまでの距離や角度などを声や音で伝えるガイド、ゴールキーパー、監督それぞれの指示と、チームメート同士の声かけが生命線になる。ピッチ上の声と音が重要であるため、観客は声や音を出して応援することはできない。
日本代表主将として、初のパラリンピックでチームを入賞に導く
日本は東京2020パラリンピックで初出場を果たし5位。パリ2024パラリンピックで2度目の出場になる。その日本代表のキャプテンを務める川村選手を、応援団長・中山秀征が直撃する。中山はブラインドサッカーの選手が感じている世界を体験するためアイマスクを装着してピッチに立つが、足元にパスを出してもらっても、トラップすらできない。しかし川村選手はピッチを縦横無尽に駆け回り、攻守の要として活躍。トラップ、パスでの展開、ドリブルでの突破。どれも周囲が見えていないとは思えない。
1989年生まれの川村選手は、幼い頃からサッカーが好きで、プロサッカー選手を夢見ていたが、5歳で目の病が発覚し、全盲に。そんな川村選手にとって、再びサッカーの楽しさを教えてくれたのが、大学に進学してから触れたブラインドサッカーだった。競技に取り組んだ川村選手は、当初は自分がどこを向いているか分からず、走ることも怖かったが、「大好きなサッカーを、仲間と一緒にプレーできる喜びが強かった」と、サッカーへの情熱で乗り越えて練習を重ねる。そして2013年に日本代表に選出、2015年に代表チームの主将に就任した。以降、最前線で活躍し、初のパラリンピックとなった東京大会ではチーム5位入賞に導いた。しかし1対1で当たり負けしないようフィジカルを強化して臨んだパリ大会は、8チーム中8位と残念な結果に。チームの今後を見守りたい。
神戸で開催された世界パラ陸上で輝いた日本選手たち
2024年5月に兵庫県神戸市で開催された世界パラ陸上競技選手権大会。男子400m視覚障がい(T13)では、福永凌太選手が声援を集めた。前回2023年大会で世界パラ陸上初出場初優勝を成し遂げた福永選手は、自らが持つアジア記録に迫るタイムで2位。連覇は逃したものの改めて実力を示し、初のパラリンピック出場も決めた。パリ大会では男子400m(T13)銀メダルを獲得。1998年生まれの福永選手は、大学時代は主に十種競技に取り組んでいた。まだまだ伸びしろを感じさせる、今後も目が離せない選手だ。
男子400m車いす(T52)は佐藤友祈選手の走りが注目された。佐藤選手はパラリンピック及び世界パラ陸上で何度も表彰台に立った日本のエース、しかし神戸ではアクシデントに見舞われた。レースのために調整してきた競技用車いすが輸送中に故障したのだ。佐藤選手は急ごしらえの車いすで出場し、2位。底力を見せたエースは、3度目の出場となったパリ大会で、100m銅メダル、400m銀メダルを獲得した。
女子砲丸投げ上肢障がい(F46)は、齋藤由希子選手がシーズンベストをマークして3位に入り、パリ大会への出場を決めた。齋藤選手がF46 クラスの元世界記録保持者だったが、パラリンピックでは同クラスが実施されず、やり投げに転向したことも。しかしパリ大会で実施されることになり、砲丸投げに復帰。ようやく巡ってきたチャンスをものにしたが、結果は4位。惜しくもメダルには届かなかったが、長らく夢見ていた舞台を楽しんだ。
文/佐藤新