2024/8/3(土)放送
パラスポチアーズ!
〜パラアスリート全力応援〜
まもなく開幕を迎えるパリパラリンピック!競技歴わずか半年で日本記録を樹立したパラ陸上界の新星、石山大輝選手と、2度目の大舞台でリベンジに燃えるパラ卓球、期待のヒロイン、古川佳奈美選手をご紹介。
走り幅跳びの視覚障がいクラスで日本記録を持つ石山大輝選手。2024年5月に開催した世界パラ陸上では、自らが持つ日本記録を更新する7m8cmの大ジャンプで銀メダルを獲得し、パラリンピック初出場をつかみ取りました。若き才能はパリパラリンピックで日本選手団の旗手にも大抜擢!パリの大空にどんな弧を描いてくれるのでしょうか。
東京そしてパリと2大会連続のパラリンピック出場を決めたパラ卓球の古川佳奈美選手。2024年1月に行われたエジプトオープンで世界ランク1位の選手に勝利し見事優勝。日本パラ卓球のメダル最有力候補です。古川選手はパリに向け多い日には1日12時間の卓球漬けの日々を過ごしています。そんな彼女がパリで掲げる目標はもちろん金メダルです!
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応援団長の中山秀征がパラスポーツを体験しながら、ルールやテクニックなどを解説し、その魅力に迫るとともに、パラアスリートの熱い思いを聞く。
第18回は、第14回でも取り上げたパラ陸上男子の石山大輝選手を改めて取材、パラ卓球女子の古川佳奈美選手も紹介する。
世界選手権で輝きを放ち、パラリンピックへの切符をつかむ
5月に兵庫県神戸市で開催された世界パラ陸上選手権大会で輝きを放ったのが、男子走り幅跳び視覚障がいクラス(T12)の石山選手だ。最後の6回目の跳躍で、自らが持つ日本記録を1cm更新する7m08cmを跳んで準優勝。パリ2024パラリンピックへの切符をつかんだ。2000年生まれの石山選手は、中学時代に陸上競技を始め、高校時代は男子三段跳びでインターハイに出場。しかし先天性の目の病が進行し、2022年にパラ陸上の走り幅跳びに転向した。すると競技を始めてから半年後の2023年4月、日本新記録の7m07cmをマーク。神戸でそれを更新し、会場を大いに盛り上げた。競技後、「お客さんを楽しませてなんぼだと思う」「押し上げてもらった応援にも感謝したい」と語った若き才能は、パリ大会日本選手団旗手に抜擢された。
勝負の1本になる予感を現実にし、日本新記録を樹立
そんな石山選手に、応援団長・中山秀征がインタビュー。石山選手が100mでも好記録を持つことについて尋ねると、「もっともっと伸ばしていかなといけない部分ではあるんですけど、自己ベストは10秒台です」と答えが返ってくる。実績もあり、2023年のアジアパラ競技大会では走り幅跳び、100mともに3位と、2種目で表彰台に立っている。「パリ大会は走り幅跳びに絞ろうと考えていますが、ゆくゆくは両方とも目指していくべきだと思います」。そう語る石山選手は、日本記録を更新した跳躍前に、フィールドに正座をした。決まったルーティーンではないそうだが、「高校時代から6本目だけ正座をすることがあったんですが、それを思い出して(正座をした)。勝負の1本になる気がしたので」。その予感は当たり、観客を沸かす大ジャンプが決まった。
「守るものは何もないので、チャレンジャーとして攻めていきたい。目標はメダルです」と意気込んで臨んだパリ大会は5位。メダルには届かなかったが、充実した笑顔を見せた。まだまだ伸びしろを感じさせる選手であり、今後は100mとの二刀流も期待される。
反省点を見つめて練習を重ね、2大会連続パラリンピック出場
古川選手は知的障がい(クラス11)の選手。パラ卓球は車いす、立位、知的障がいの3カテゴリーに大別され、車いす、立位は各5クラスに分かれるが、知的障がいは1クラスのみだ。1997年生まれの古川選手は、中学生のとき軽度の知的障がいと自閉スペクトラム症が発覚。理解力が劣り、臨機応変な対応が難しいと言われる。卓球との出会いも中学生のとき。「ソフトボール部に入りたかったんですけど、集団行動が苦手だなと思って、ほかの部活を探しているうちに、友人から誘われたのがきっかけ」だという。卓球部に入った古川選手は、中学3年生のときに全国大会に出場するが、競技を続けていくうちに、障がいの影響で試合を途中で投げ出してしまったり、戦術を忘れてしまったりといった課題が浮き彫りになっていった。そんな中、井保啓太コーチに出会った。「最初の3カ月は週に1回ぐらいしか練習に来ていなかったが、試合に負けて『本気で卓球がしたい』と言ってきたので、だったら毎日練習してパラリンピックを目指そう、と」(井保コーチ)。それから古川選手は新たな取り組みを始めた。「練習の反省をノートに書きました。忘れやすいのでコーチに同じことを言われたときに見返している」という。そうした努力が実り、2017年に出場した国際大会で初優勝。その後の活躍も評価され、東京2020パラリンピックに出場した。結果は予選敗退だったが、目標だった大舞台に立つことができた。「出場できたときはうれしかったし、夢のようだった。悔しい結果でしたが、次に向けて頑張ろうと思いました」。次に向けて努力を重ね、パリ大会代表となった古川選手は、金メダルを目標に掲げて2度目の大舞台を踏んだ。結果はシングルスで銅メダル。目標に届かず悔しさも感じたが、無観客だった東京大会とは違う、観客の声援を浴びながら戦うパラリンピックを経験し、充実感を得た。
文/佐藤新