2024/10/5(土)放送
パラスポチアーズ!
〜パラアスリート全力応援〜
世界各国のパラアスリートが激闘を繰り広げたパリ2024パラリンピック。悲願の金メダルを獲得した車いすラグビーのエース池崎大輔選手を紹介。キーワードは「金メダルは通過点」。
池崎選手は6歳のときに手足の筋力が衰えていく難病を発症。元々は車いすバスケットボールに取り組んでいましたが、2008年に車いすラグビーに転向。以降、エースとして最前線で戦い続けてきました。パリ大会では全ての試合に出場。大会通算59得点をあげ日本の金メダル獲得に大きく貢献しました。
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応援団長の中山秀征がパラスポーツを体験しながら、ルールやテクニックなどを解説し、その魅力に迫るとともに、パラアスリートの熱い思いを聞く。
2024年10月5日放送回は、パリ2024パラリンピックで悲願の金メダルを獲得した車いすラグビー日本代表のエース・池崎大輔選手を紹介する。
準決勝の壁を打ち破り、悲願の金メダルに輝いた日本代表のエース
2024年9月5日、東京・羽田空港に多くの報道陣やファンが集まり、帰国した車いすラグビー日本代表を迎えた。選手たちの胸に輝くのは金メダル。パリでパラリンピック初優勝を成し遂げた選手たちの表情は晴れやかであり、主将の池透暢選手は会見で「本当に美しくて、人生で一番素晴らしい瞬間がそこにあった」と語った。
2024年9月5日、東京・羽田空港に多くの報道陣やファンが集まり、帰国した車いすラグビー日本代表を迎えた。選手たちの胸に輝くのは金メダル。パリでパラリンピック初優勝を成し遂げた選手たちの表情は晴れやかであり、主将の池透暢選手は会見で「本当に美しくて、人生で一番素晴らしい瞬間がそこにあった」と語った。
日本代表はロンドン2012パラリンピックで4位。続くリオ2016パラリンピックと東京2020パラリンピックは共に銅メダル。金メダルを目標に掲げるチームにとっては、準決勝が大きな壁になっていた。しかしパリ大会ではその壁を打ち破り、ついに頂点に。その立役者となったのが池崎選手だった。
1978年生まれの池崎選手は、6歳で手足の筋肉が徐々に衰えていく難病を発症した。それから車いすバスケットボールに取り組んでいたが、2008年に車いすラグビーに転向し、2010年に日本代表に選出。以来、エースとしてチームを引っ張ってきた。パリ大会も全試合に出場して通算59得点を挙げ、金メダル獲得に貢献した。
そんな池崎選手を応援団長・中山秀征が祝福し、大会についてインタビュー。すると池崎選手は「準決勝が一番緊張したというか、怖かった」と切り出した。準決勝の対戦相手は大会時の世界ランキング1位で、ロンドン大会、リオデジャネイロ大会連覇のオーストラリア。準決勝の壁を意識し、「気持ちで負けてしまっている自分がいた」という。そんな池崎選手を奮い立たせたのが、長年ともにチームを牽引してきた池選手の言葉だった。「『池崎さんなら大丈夫だよ』と声をかけてもらって、仲間に支えられてコートに入った」。池崎選手はプレッシャーをはねのけて17トライをマーク。チームは52−51で競り勝ち、初めて決勝に進んだ。
金メダルは通過点。パラスポーツの未来を切り開くため挑戦は続く
中山が「準決勝で勝てたのは、何が変わったから?」と質問すると、池崎選手は「ひとつは橋本(勝也)の成長。チームに良い影響を与えてくれた」と答えた。22歳の橋本選手は大会を通じてチーム最多の79トライをマーク。アメリカと対戦した決勝でも両チーム最多のトライを挙げ、チームを金メダルへ導いた。しかし池崎選手によると、橋本選手は「まだまだ僕にはかなわない」とのこと。これは半分冗談、半分本気の言葉だろう。なぜなら池崎選手はまだまだ第1線で走り続けるつもりだからだ。「金メダルはアスリートとしては最高の結果。でもこれは通過点。メダルをたくさんの人が獲得できるような環境を作りたい」と大きな目標を語る。具体的には、寝泊まりしながら自由に練習できる施設を作ること。車いすラグビーは車いすの急停止や急旋回により床にタイヤの跡など汚れがつくため、自由に練習できる施設が限られる。池崎選手も苦労したという練習場所確保の問題を、後進のためになくしたいと考えているのだ。「パラスポーツに興味がある人、障がいのある子どもたちが気軽に来られて、イベントもできて疲れたら寝ることもできる。そういう場所を作りたい。金メダルはそのためのネタです」。
池崎選手は金メダル獲得後、卒業後も応援してくれている母校・北海道岩見沢高等養護学校を訪れ、後輩たちに感謝と激励の言葉をおくった。「常に前向きで自分らしく諦めずにいてほしい。そうすれば必ず結果が出ることが証明できた」。力強い言葉は、後輩たちの心を動かした。彼らの中から未来の金メダリストが生まれるかもしれない。池崎選手自身ももう一度メダリストになるべく、ロサンゼルス2028パラリンピックを見据えている。自分が輝くことが「次世代、障がいのある子どもたちの夢や希望、人生の選択肢につながっていけばいい」と熱く語り、パラアスリートのセカンドキャリアについても考えをめぐらす池崎選手。夢は大きく広がり、実現するための挑戦に終わりはない。
文/佐藤新