2025/3/1(土)放送 パラスポチアーズ!
〜パラアスリート全力応援〜

ルール変更に伴い、重い階級での出場を余儀なくされたパリ大会…あきらめることなく肉体改造を経てパリの舞台で躍動!見事、金メダルを獲得した瀬戸勇次郎選手を紹介。

瀬戸勇次郎

瀬戸勇次郎

視覚障害者柔道

東京大会では銅メダルに終わった瀬戸選手。ライバルとして立ちはだかるカルダニ選手に初勝利!嬉しさのあまり、思わず〇〇を投げてしまった!?
悲願の金メダルを獲得し、表彰台で流す涙…その時ライバル・カルダニ選手の驚きの行動とは!?

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2025年3月1日初回放送回のゲストは、パリ2024パラリンピックの視覚障害者柔道男子73kg級(J2)で金メダルを獲得した瀬戸勇次郎選手。元ラグビー日本代表主将の廣瀬俊朗がインタビューする。

ライバルを超えるため肉体改造に取り組み、悲願の金メダル獲得

瀬戸選手は先天性の視覚障がいがあるが、4歳で柔道を始め、健常者とともに稽古に励んだ。2017年、高校3年時に視覚障害者柔道に転向し、東京2020パラリンピック男子66kg級で銅メダルを獲得。しかしその後、J1(全盲)とJ2(弱視)にクラスが分けられ、階級が再編された影響で、73kg級に階級を上げざるを得なかった。変更当初は苦戦が続いたが、2023年から複数の国際大会で優勝。そしてパリ大会で見事に金メダルをつかみ取った。
 金メダルを獲得するまでの道のりには、階級変更に伴う苦難に加え、因縁のライバルも立ち塞がった。ジョージアのギオルギ・カルダニ選手。瀬戸選手が19歳で初めて海外で国際大会に出たときに対戦した、足技のスペシャリストだ。最初の対戦の結果は、「『始め』と言われた3秒後に投げられて負けました。何もできなかった、がそのときの感想です」。世界の壁の高さを痛感した瀬戸選手は、それを乗り越えるため一層自分を磨き続け、東京大会銅メダルという結果を出した。しかしその後、再びカルダニ選手が立ちはだかる。最初の対戦以降、カルダニ選手が66kg級から73kg級に転向したため戦う機会がなかったのだが、瀬戸選手も階級を上げたため、再戦が実現したのだ。2023年の夏、73kg級でも戦える手応えを感じ始めた時期で、「勝てるだろうという気持ちで試合に臨んだ」瀬戸選手だったが、「まったくダメでした。悔しかったし、最初の対戦よりも重く感じる負けでした」と振り返る。しかもこのときの敗戦で世界ランキングが下がり、パリ大会の出場圏内から転落する状況に追い込まれた。「そこからどう這い上がったんですか?」という廣瀬の問いに、「身体を作り直すしかないと考え方を変えて、ウエイトトレーニングと食事、日常生活の部分から見直して73kg級の肉体を作り上げました」と答えた。こうした取り組みはすぐには結果が出ない地道なものだが、何がモチベーションになったのか。「勝ちたいという気持ち。東京大会の銅メダルを獲って、表彰台でほかの国の国歌を聞いている時間が悔しくて。次こそは表彰台で君が代を流すんだという思い」で日々を送った。その集大成として臨んだ国際大会の準決勝でカルダニ選手と3度目の対戦。開始早々、足技に苦しめられて技ありを奪われるが、それ以降は冷静に対処し、隙をついて背負い投げで一本勝ち。大きな壁を打ち破った。「その大会は結局優勝したんですけど、優勝が決まったタイミングよりうれしかったです(笑)。パリ大会を目指すに当たって、一番超えなければならない壁がカルダニ選手だったので」。

金メダルとともに教師を目指す日々を経て、4月から新たな道へ

その後、4回目の対戦でも勝利した瀬戸選手は、パリ大会に出場し、決勝に進出。カルダニ選手を技あり2つで破り、悲願だった金メダルを勝ち取った。「表彰台に上がる前から泣きそうだったんですけど、遠くに上がる日の丸が自分の視力でも若干見えて、君が代が流れて。特別な時間でした」。涙を流す瀬戸選手に、カルダニ選手は優しく寄り添ってくれたそうで、瀬戸選手は「いいやつだなと思いました」と笑った。
 2024年の瀬戸選手は、競技以外にも忙しい日々を送っていた。当時は教員を目指す大学院生であり、修士論文の提出年でもあったため、その勉強に追われていたのだが、無事に教員となり、4月から地元の福岡で働く。廣瀬が「柔道は今後どうする?」と、一般のファンの思いをぶつけると、瀬戸選手は「教員の仕事が第一」と答えた上で、「視覚障害者柔道にはずっと関わっていくことになると思うので、自分のやるべきことを見極めて、それを最大限やっていきたいと考えています」と思いを語った。新たな道を踏み出した瀬戸選手の歩みを見守りたい。

文/佐藤新

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