2025/6/14(土)放送
パラスポチアーズ!
〜パラアスリート全力応援〜
11月に開幕する東京2025デフリンピック!
金メダル獲得に期待が寄せられているデフバレーボール日本代表のブロックの要、長谷山優美選手を紹介。
持ち前のバネを活かしたブロックを武器に日本代表のミドルブロッカーとして活躍してきた長谷山選手。その隣には中学時代からともに汗を流してきた日本代表でセッターを務める中田美緒選手の姿も…2人の友情秘話や、長谷山選手のオフの癒しであるワンちゃんの話も!?
©J:COM
2025年6月14日初回放送回は、デフバレーボール日本代表の長谷山優美選手を紹介。2025年11月に行われる東京2025デフリンピックで金メダル獲得が期待されるチームのミドルブロッカーだ。
東京デフリンピックで金メダルが期待されるチームの中心選手
デフリンピックは聴覚に障がいがあるアスリートの祭典。1924年に第1回国際ろう者競技大会がフランス・パリで開かれて以来、概ね4年に1度開催され、2001年大会から現在の名称になった。ちなみに、デフリンピックは、聞こえない、聞こえにくい人という意味のデフ(Deaf)と、オリンピック(Olympics)を合わせた造語。聴覚障がいの程度による差をなくすために、競技中、補聴器などを使用することは原則禁止されている。25回大会となる東京大会は初めて日本で開催される大会であり、11月15日から26日まで(サッカーは14日に先行開幕)、21競技で約3000人の選手が競い合う。
地元日本勢の活躍が期待され、特に注目されているのがデフバレーボール女子。日本代表はソフィア2013デフリンピックで銀メダル、サムスン2017デフリンピックで金メダルに輝いた強豪であり、東京大会でのメダル獲得に大きな期待が寄せられている。そんなチームの中心選手が長谷山選手。バネを活かしたブロックを武器にチームを支え、サムスン大会金メダルにも貢献した。2000年生まれの長谷山選手は、生後9カ月で聴覚障がいが発覚。補聴器を使っても言葉を聞き取ることが難しく、手話で意思の疎通をはかる。応援団長の中山秀征のインタビューにも手話で返答した。
長谷山選手がデフバレーを始めたのは中学1年生のとき。「部活動の体験会があり、身長が高かったので、バレー部の先輩たちに『入ってみない?』と声をかけられて、始めました」とのこと。その部には、現在の代表チームのセッター・中田美緒選手もいた。長谷山選手にとって中田選手とは6年間、共に部活動に打ち込んだ仲間であり、入部当初の目標だった。長谷山選手は「1年生のときは体が細くて力が弱く、サーブを打ってもネットを越すことができなかった」そうだが、中田選手は肩が強く技術もあり、「ポジションは違いますが、先を行っているなと感じていました」と明かす。長谷山選手は中田選手に追いつきたい一心で練習に励み、中学3年生で代表入り。高校2年生で出場したサムスン大会で日本の16年ぶりの金メダルに貢献した。「サムスン大会の1年前に世界選手権があって4位だったんですが、あまり悔しさはありませんでした。それがサムスン大会の金メダルで気持ちが一変しました。いろいろな人が応援してくれたことで、”日本のために世界と戦っているんだ””勝たないと”と思うようになりました」と心境の変化を告白。
コロナ禍で味わった無念を乗り越え、東京で歓喜の瞬間へ
長谷山選手は新たな気持ちを胸に、デフリンピック2連覇を目指して一層練習に打ち込んだ。しかし、コロナ禍という試練に見舞われる。日本代表合宿が中止になり、地元のチームも練習ができなくなった。そんな状況で迎えたカシアス・ド・スル2021デフリンピック(コロナ禍で延期され、実際の開催は2022年)。準決勝まで勝ち進んだものの日本選手団にコロナウイルス感染者が出て、棄権を余儀なくされた。長谷山選手は「これまでの頑張りが一瞬にしてなくなってしまった。大泣きでした」と振り返る。中山が帰国してすぐに気持ちを切り替えられたのかを尋ねると、「みんなで集まったときに、もう終わったことだから笑顔で頑張ろうと、次の大会に集中することにしました」と話す。
気持ちを切り替え、新たなスタートを切った日本は、2024年の世界選手権で優勝。世界チャンピオンとして東京大会に臨む。「私が生きている間に、東京でデフリンピックが開催されることはもうないと思います。本当に自分は恵まれていると感じました。家族や友人にも直接、現場で試合を見てもらえる」と喜びをにじませる。中山が東京大会の目標を問うと、笑顔で「もちろん金メダルです」と答えた長谷山選手。彼女と仲間たちが地元の観客に見守られ、3年前の無念を晴らすことを期待したい。
文/佐藤新