2025/10/10(金)放送
パラスポチアーズ!
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冬季パラリンピック日本男子選手史上最年少となる金メダルを獲得したパラクロスカントリースキーのエース、川除大輝選手を紹介。
生まれつき両手足の一部に欠損がある川除選手。6歳の時に親戚に誘われてクロスカントリースキーを始めた。「自分も金メダルを獲りたい!」そう思ったのは、パラリンピックに7大会連続で出場し、いまもなお、現役で日本代表を引っ張る新田選手の存在だった。
自身初となる平昌パラリンピックでは思うような結果は出なかったものの2022年の北京大会では憧れの新田選手を越え、悲願の金メダルを獲得!次世代の日本代表のエースとしてバトンを受け継いだ。
金メダル獲得後にかけられた新田選手の言葉とは…そして連覇を目指すミラノ大会への想いについても語る!
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2025年10月10日初回放送回は、北京2022パラリンピックで、冬季パラリンピック日本男子選手史上最年少の金メダリストとなったパラクロスカントリースキーのエース・川除大輝選手を紹介する。
新田佳浩選手との出会いを機に競技に打ち込むスイッチが入る
パラクロスカントリースキーは障がいの種類によって、身体障がい立位クラス、シットスキーという特殊な器具に乗って滑走する身体障がい座位クラス、ガイドの声を頼りに2人1組で滑走する視覚障がいクラスに大別され、立位と視覚障がいの両クラスは、スキー板を2本の溝に合わせて左右平行に保ちながら滑るクラシカル走法と、走法に制限のないフリー走法の2種目が行われる。
生まれつき両手足の一部が欠損している川除選手は、立位・上肢障がいクラス(LW5/7)に属し、17歳で平昌大会に初出場。次の北京大会の20kmクラシカルで金メダルを獲得した。ミラノ・コルティナ大会の出場も内定し、2連覇が期待されている川除選手を、チアーズファミリーの村上佳菜子が直撃取材した。
川除選手は2001年に富山県で生まれた。競技を始めたきっかけを村上が尋ねると、川除選手は「小学1年生のときに親戚に誘われて」と答える。始めた当初は「全く滑れなくて転んでばかり。楽しくなかった」そうだが、「コーチにソフトクリームをおごってもらったり(笑)」して、競技以外の部分が楽しくて続けられたという。そうして趣味としてクロスカントリーに取り組んでいたが、新田佳浩選手との出会いから変化が生まれる。
新田選手は1998年の長野大会からパラリンピックに7大会連続で出場して計5個のメダルを獲得し、今も現役を続けるレジェンドだ。川除選手によると「小学3年生のとき、バンクーバー大会で新田選手が金メダルをとったんですが、自宅に来ていただいて首に金メダルをかけていただく機会がありました」とのこと。それまで日本人はクロスカントリースキーで世界に通用しないイメージがあった中、表彰台に立った選手に接し、メダルに触れた。「日本人選手でも頑張ればここまでたどり着けると感じた。競技へのスイッチが入るきっかけでした」と明かす。
金メダルを獲得し、背中を追い続けた憧れの存在に祝福される
川除選手は中学3年生で新田選手も所属するスキーチーム・AURORA(アウローラ)へ入部。練習を積み、高校2年生のときに、平昌大会で初めてパラリンピックの舞台に立った。「大会1年前に同じ場所でW杯があって気楽に臨めたので、パラリンピックもそんなに変わらないだろう、という感覚でいたら、周りの対応だったり、選手村の感じが全然違って急に動揺して、調子が崩れました」と当時を振り返る。川除選手は、4種目に出場したが4位が最高。そんな苦い思いが残る初の大舞台で目にしたのが、金メダルと銀メダルを獲得した新田選手の姿だった。背中を追い続けてきた選手が表彰台に立つ姿を見て、大いに刺激を受けた川除選手は、4年後を見据えてスキーの名門である日本大学へ進学。そして迎えた北京大会で金メダル獲得を果たした。これを誰よりも喜んだのは、新田選手だった。新田選手が川除選手に最初にかけた言葉は「大輝、おめでとう」。日本のパラクロスカントリーを引っ張ってきた新田選手にとって「バトンタッチできる優秀な後輩ができた」ことはとても喜ばしく、「パラクロスカントリースキー選手といえば川除大輝。世界からそう呼ばれる選手になってほしい」と期待を寄せる。当の川除選手は、新田選手に祝福されたことと、「負けねえからな」と言われたことを覚えている。憧れだった選手に認められたことがうれしかったと同時に、現役である新田選手の闘志も感じたという。
川除選手は北京大会後、世界各地を転戦するW杯で3季連続総合優勝を果たした。新田選手が期待する「競技を代表する選手」になりつつある川除選手がミラノ・コルティナ大会で狙うのは、もちろん連覇。師匠から譲り受けたバトンを次につなげるためにも、再び表彰台の一番高いところに立つつもりだ。
文/佐藤新