
声優・佐倉綾音
ロングインタビュー #2
「お芝居は仮想現実だと思う」
生々しさとアニメ芝居のはざまで思うこと
2025年7月4日更新
SAKURA
INTERVIEW
『僕のヒーローアカデミア』の麗日お茶子をはじめ、『五等分の花嫁』の中野四葉、『SPY×FAMILY』のフィオナ・フロスト、『SAKAMOTO DAYS』の陸少糖(ルー・シャオタン)など、数々の人気作品で主要キャラを好演する、声優・佐倉綾音さん。人間に対する深い洞察から生まれるその演技力と、そのキャラの気持ちや感情を真っ直ぐに伝える表現力は、アニメファンならずとも心を打たれます。2025年4月にはTBSラジオでレギュラー番組がスタート、豊かな語彙と軽妙な毒を散りばめたトークでラジオパーソナリティとしての才も発揮。活躍の場がさらに広がりました。この企画では全3回にわたり、佐倉綾音さんへインタビュー。ラジオへの思いやこれまでの歩み、お芝居に対する考えをひもときつつ、その人となりに迫ります。
幼稚園に上がる前に、一度声優を諦める

――前回は、ラジオを中心にお話を伺ってきましたが、今回は「声優を志したきっかけ」をテーマにお話をお聞きしたいと思います。声優という職業を初めて意識したのはいつ頃だったのでしょうか?
佐倉:初めて「声優という職業があるぞ」と知ったのは意外と早くて……。たしか3歳くらいのときにはすでに、「ポケモンの主人公・サトシは、松本梨香さんという方が声をあてているんだよ」と親から聞かされて、声優の存在を知っていたと思います。
それを聴いて「夢を壊された!」と失望するようなことはまったくなく、むしろ自分と地続きで生きている人間がそうやってアニメを作っているのはすごいことだ、と感じていました。
そしてその頃、「私、声優になる!」と言い始めていたみたいです(笑)。
――この企画史上、最速ですね…!(笑)
佐倉:でも、根が引っ込み思案の恥ずかしがり屋なので、人前で何かを表現するのは大の苦手。親の前でごっこ遊びもできなかったくらいでした。
あるとき、声優になると言っている私に、父が「いまこの場で『ポケモン、ゲットだぜ!』って言ってみな」と言ってきたんです。
当然、恥ずかしいから「できない」と言うじゃないですか。そうしたらなんて言ったと思います!?
「今ここでできないなら、声優にはなれない」と……(笑)。
――お父さん、めっちゃ厳しい……!(笑)
佐倉:ね。まだ幼稚園にも上がる前の子にそんなに求めます……?(笑)
父はエンタメに対してアンテナが立っているタイプの人間だったので、今思うときっとそういうことも関係しているのかなとは思うのですが。
そんな出来事があって「私、声優にはなれないんだ」と思い、それ以降しばらく声優という存在については忘れて生きていました。
――それが、どんないきさつでもう一度「声優になろう」と?
佐倉:小学校の頃、週6日、毎日なにかしらの習い事があったのですが、高学年になった頃に不登校になって、すべてがままならなくなってしまったんです。
中学に上がってからは私自身がエンタメ、とくに実写作品に没頭して、その頃から「エンタメを作っている裏側の世界を見たい」と思い始めた。
――前回のお話でも、作品とセットで“裏側も知りたい”とおっしゃっていましたね。
佐倉:そう、多分、この頃からそんなふうに思うようになったのだと思います。
でも当時は中学生。エンタメの裏側を見るためには「エキストラ、ひいては役者になるしかない!」と。
でも「お芝居がやりたい」というわけでもなかったので、「とりあえずエキストラになって裏側が見れたらいいな」と思っていました。
不登校だった自分が、養成所では皆勤賞

――最初は「エキストラになりたい」だったんですね。
佐倉:今でもそうなのですが、私、すごくせっかちで、「こう!」と決めたら思い立ってすぐに動かないと気が済まないタイプなんです。そのときもすぐ親に「この劇団に通ってみたい!」と打診をしました。両親も、「家に引きこもるよりも、外に出てくれるならそのほうがいい」と承諾してくれて。
それにお芝居の勉強だけじゃなく、日本舞踊やボイストレーニングなど、いろいろなことが体験できる劇団でもあったので「体力づくりにもなるだろう」ということで、劇団に入れてもらいました。
――それで中学2年生のときに、「劇団東俳」に入ったんですね。
佐倉:そうです。劇団に入ってみたら、意外とお芝居をやること自体は、好きかもしれないと思えたんです。
でも、どうやら私には自己顕示欲もなければ承認欲求もあまりない……。人に見られるのは恥ずかしいし、カメラを向けられるのも、ステージの上に立って人前でお芝居するのも、どうやら苦手。「そうじゃん。私、こういうの向いてないんだった。ここは私の居場所じゃないんだ」と思って。
そんなことを考えている頃、ボイトレの先生に「佐倉さんは声に特徴があって発声がしっかりしているから、声の仕事が向いていそうだね」と何気なく言われたことがあって、それが頭に残ったんです。
考えてみたら、声優になればステージに立たなくていいし、顔を出さずともお芝居ができる。……当時の印象です(笑)。その辺りから「自分にはこっちのほうが向いているのかも」と思うようになってきました。
――改めて、声優の道に進むことを決めた瞬間ですね。
佐倉:ただ、声優への知識が「サトシ=松本梨香さん、ドラえもん=大山のぶ代さん」程度で止まっていたので、これは勉強せねば、と思って声優の養成所に入り直すことにしたんです。
だから劇団東俳さんにいたのも本当、1年くらいのことで。
――1年……! 想像していたよりも全然短かったです。
佐倉:決断がわりと早い方なので、1年通ってみて「違うな」と感じたら、もう次の年には声優の養成所に入っていた、という感じでした。
ただ、養成所といっても中学生から受け入れてくれるところがあまりなかったんです。かなり限られた選択肢の中で、ジュニアクラスがあるところを見つけてそこに入りました。ジュニアクラスということもあって、養成所時代に一度も、マイク前に立ってレッスンはできませんでした。
――そうだったんですか……! ちなみに養成所に入ってからのお芝居のレッスンは、佐倉さんにとってはいかがでしたか?
佐倉:劇団のお芝居と決定的に違ったのは、基本的な目線が台本にあること。でも、それさえできていれば、想像よりもずっと自由にお芝居ができるんだと感じて、とても楽しかった記憶があります。
中学3年生のとき、不登校で学校には行っていなかった私ですが、養成所に関しては1日も休まず1年間通っていました。
――声のお芝居、というところが佐倉さんにとってぴたっとハマる感覚があったんでしょうか?
佐倉:そういう感覚も、確かにありました。
自分の容姿にまったく自信がなかったので、「見た目を気にせずお芝居に集中できる」という安心感も大きかったのかなぁと思います。