泉秀樹の歴史を歩く

泉秀樹の歴史を歩く

【2023年12月】
英雄たちの晩年と死
あなたの老後はそれでいいのか!?(前編)

福澤諭吉は、中津藩の大坂の蔵座敷で生まれた。
父親が豊前国中津藩に仕えていたからだ。
一生懸命語学を勉強して3回も欧米を巡覧し、1868年に慶応義塾を作った。

福澤諭吉は53、4歳の時から、家族を連れて旅行を楽しむようになった。
日本各地に弟子が散らばっており、どこへ行っても歓迎してくれる。
それが一つの大きな楽しみであった。

もう一つの楽しみが、お酒で福澤諭吉という人は大酒飲みだった。何と5歳ぐらいの時からお酒を飲んでいたらしい。
昔はお母さんが頭の月代(さかやき)を剃る。
その際ぼんのくぼ(盆の窪)の所を剃ると非常に痛い。
ある時お母さんが「痛いのを我慢したら、お酒を一杯飲まして上げるよ」といった。

以後、酒に関しては自身の言葉で「天性の悪癖、誠に恥ずべきです。酒を見ては殆ど廉恥を忘れる程の意気地なし。
酒のためにはあらん限りの悪いことをして、随分不養生も犯しました」

「一念発起して禁酒をしましたが、ちょいと一杯やってみるとたまらない。到頭三合の酒を皆飲んでしまって、また翌日は五合飲む。五合、三合、従前の通り」という状態だった。

さらに「上等の酒をうんと飲んで、酒のさかなも良いさなかを沢山食い、満腹に飲食した後、
飯もどっさり食べて残すところなしというまことに意地の汚い、いわゆる牛飲馬食と言うべき男」
というふうに、自分の事を「無法な大食家」と自嘲しています。

諭吉は、大坂の緒方洪庵が主宰する「適塾」にいた時代も、
牛鍋などでよく酒を飲んだといっています。

しかし、37歳の時に原因不明の熱が出て、死にそうになり「ただの清酒は利きがにぶいと、ブランデーだのウィスキーだの飲む者があるが、あれは宜しくない。苦しかろうが、止めるのが上策だ」といい、何故か自然に飲まなくなってしまったそうだ。

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