二宮清純コラムパラリンピック 奇跡の物語
~ビヨンド・ザ・リミット~

2026年3月17日(火)更新

祝! 冬季パラ通算100個目メダル
45歳・小栗大地3大会目で悲願達成

 現地時間3月15日に閉幕したミラノ・コルティナ冬季パラリンピック。スノーボードの小栗大地選手が、男子バンクドスラローム(下肢障害LL1)で銀メダルを獲得したことにより、日本選手団の冬季パラ通算メダル数は100個に到達しました。記念すべきメダルを胸に飾った45歳の小栗選手は「メダルを獲ってくれという状況で、しっかり獲れた。何か持っているのかなという気がする」と喜びを口にしました。

長野でメダルラッシュ

 45歳の小栗選手は7人からなるスノボチームのキャプテンです。メダルはパラリンピック3大会目にして初。「ようやく獲れてほっとしている」と満面の笑みで語りました。

 これはオリンピックについても言えることですが、スノボチームは年齢・性別問わず、皆ファミリーのように仲がいい。上位下達の、いわゆる体育会的な“タテ社会”とは無縁です。

 メダルを首にかけられた小栗選手に駆け寄った10歳年下の小須田潤太選手は、「圧倒的にうれしい」と、自分がメダルを獲ったかのように喜んでいました。

 さて冬季パラリンピックは、1976年に始まりました。第1回大会はスウェーデンのエーンシェルツビークで開催され、アルペンスキーとクロスカントリースキーが実施されました。16か国から53名の選手が参加しました。

 日本選手団が初めて登場したのは、80年にノルウェーのヤイロで行なわれた第2回大会からです。

 ちなみにメダル第1号は88年のインスブルック大会で池田恵美子さん(アルペンスキー女子大回転LW10)と、三野勉さん(アルペンスキー男子大回転LW1)。いずれも銅メダルでした。

 では、これまでの大会別メダル数を見て行きましょう。

 1988年=インスブルック=2個(銅2)
 1992年=アルベールビル2個(銅2)
 1994年リレハンメル=6個(銀3、銅3)
 1998年長野=41個(金12、銀16、銅13)
 2002年ソルトレークシティ=3個(銅3)
 2006年トリノ=9個(金2、銀5、銅2)
 2010年バンクーバー=11個(金3、銀3、銅5)
 2014年ソチ=6個(金3、銀1、銅2)
 2018年平昌=10個(金3、銀4、銅3)
 2022年北京=7個(金4、銀1、銅2)
 2026年ミラノ・コルティナ=4個(銀3、銅1、3月15日現在メダル総数101個)

紡がれる歴史

 表を見れば明らかなように、アジアで初めて冬季パラが開催された98年長野大会で、日本はメダルを量産しました。通算メダル数の4割以上を、この1大会で獲得したのですから、さながら長野バブルです。

 地元開催というチームアドバンテージがあったことに加え、91年に招致が決まってから本腰を入れ始めた強化活動が実を結んだといっていいでしょう。

 冬季パラのレジェンドといえば、日本人で初めて金メダル(長野大会)を手にしたアルペンスキーの大日方邦子さんです。今大会で村岡桃佳選手に更新されるまでは、日本勢として最多となる10個のメダルを獲得していました。

 大日方さんによると「長野大会での選手の活躍がきっかけとなった」ことで99年にJPC(日本パラリンピック委員会)が生まれたそうです。それだけ、インパクトのある大会だったということでしょう。

 大日方さんは、今回のミラノ・コルティナ大会でも日本選手団の団長を務めるなど、現役引退後も、冬季大会を中心にパラリンピック、そしてパラスポーツを支えてきました。

 今大会はメダルの目標数を設定せず、選手たちに「結果を恐れず、積み重ねた努力を信じて、のびのびと戦ってほしい」とメッセージを送りました。

 支えられる側から支える側へ――。かくして、冬季パラの歴史は紡がれています。

二宮清純

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