創刊40周年を迎えるスポーツ総合雑誌『Sports Graphic Number』のバックナンバーから、
球団ごとの名試合、名シーンを書き綴った記事を復刻。2020年シーズンはどんな名勝負がみられるのか。
1996年オリックス 日本一
[仰木マジックの謎を解く]
栄光の采配。
text by Osamu Nagatani
その兆候が見えたのは、3連勝したあとの第4戦の先発だった。89年も第4戦の先発に、大方の予想に反して池上誠一を起用して、投手コーチの反対にあい、小野和義の先発に変えた経緯がある。このシリーズの第4戦の豊田次郎の先発はこのケースに似ているように思えたが、しかし今回の場合、キチンとした裏付けがあったので選手の方も納得していた。
テレビの中継用のケーブルを足に引っ掛けるほど、緊張していた気の小さい金田政彦と、メジャー挑戦に、心を奪われている長谷川滋利に先発を任せるよりも、一番テンポのいい投球をみせる豊田を選んだのは、次のような理由があってのことだった。
「守っている間の投球のテンポの悪さは、自分のチームが攻撃に移ったときのリズムを大きく崩すことが多いんです。この4戦は攻撃に頼らなければならなかったのですから、一番ストライクがとれるテンポの速い投手でいくことにしたんです。ウチの打者はリズムを大切にしていますから」と仰木は言う。一見奇策に見えた豊田の先発はナインの気持ちを熟知した上での選択だった。
「3連勝した時、当然ですが89年のことは頭をよぎりました。余計な事を言って刺激したくない(89年の時は、加藤哲郎が巨人に対して“ロッテ以下のチーム“と言って巨入ナインを発奮させてしまった)、下手なことをやって相手を勢い付かせたくないと思っていました。だから喋りたくても口を貝にしてたのです」と王手をかけた瞬間の気持ちをこう表現している。
そして、日本一を決めた第5戦、巨人は中4日で斎藤を起用、オリックスは星野を立て、真正面からぶつかり合った。その前日、星野には、「ウチのエースとして斎藤が降りるまでマウンドにいるプライドを持て」と言って撤を飛ばしている。今年の星野といえば、13勝5敗の成績。本来、開幕投手は野田だった。雨で流れたために巡ってきた星野の出番だったが、完封勝利でスタートできた心地好さが、この成績に現れ、同時にエースとしての自覚とプライドを養うことでシーズンを乗り切ってきた。
その星野は、「相手のエースより、カが上だから、相手が降りるまでマウンドにいろ」と言われては、意地や闘志が湧き上がらないわけがない。滅多に声を掛けない仰木の撤に、星野は、「今年、最後の仕事」と思って投げたのである。
だが、4点をリードした4回に捕まる。仰木は序盤のリードで外野の守備固めにはいっている。昨年にしろ、今年にしろ、優勝が決まる試合で、外野の守備固めが一歩遅れて、本西厚博を中心に、田ロ、イチローの日本一優秀な外野陣を生かせずに終わっていた。その反省もあってか、藤井に代えて、本西をセンターに入れた途端、問題のシーンは起きた。
4回1死一、三塁の場面で、井上真二の打球はセンターに飛ぶ。前進した本西は地上スレスレで好捕、捕手高田に返球した。だが、二塁審判の井野修はアウトではなく、ワンバウンドで捕球したとしてセーフの判定を出した。
猛烈な勢いで抗議に走る仰木。「34歳になって初めてキレた」と言う本西。選手たちは監督の号令でベンチに引き揚げている。ベンチ裏に戻ってきた仰木はビデオでそのプレーを確認し、審判達にもビデオを見るように促した。
「誤りを素直に認めろ、だから巨人寄りだと言われるんだ」と仰木は叫んだ。しかし激しいやりとりの中、山田コーチに、次の投手の準備ができているかの確認をとる冷静さも、失わずにいた。
「命を賭けて判定している」と言う井野塁審の言葉に、仰木は、「よっしや」と大声を上げ、選手を守備に戻らせ試合を再開した。その間、わずか10分、見事な引き際だった。
仰木は後日、この10分間を振り返って答えている。
「あのプレーを機に、チームの気迫が漲ったのは確かです。済んだことで、いつまでもグチャグチャ言っても判定が変わるわけでもないし、たとえ変わったとしても後味が悪いだけ。それよりも、審判に貸しを作って試合をした方が逆に優位に立てる。損して得取れです」と言う。
判定を巡って、ノッて来るはずの巨人は逆に意気消沈、オリックスに流れが行ったのは、10分という短時間で抗議を切り上げた仰木の潔さだったのかも知れない。
「計算? そんなことはしていません。でも引き際はいつも考えています」とポツリと言った言葉は何か凄味があった。
オリックスは伊藤隆偉の力投があり、野村貴仁、鈴木と判で押したようなリレーで勝利を決めた。5戦中、4戦でマスクをかぶり巨人打線の的を絞らせなかった高田誠は、古巣だった巨人に勝ったことに、素直に涙を流していた。
「巨人は足を使ってくるチームではない。それならば、リードの多彩な高田を使うことで彼のキャラクターを生かそうと考えました。シーズン後半からこういう起用をしてきましたが、本人もいろいろ工夫を加えながら、このシリーズでも、うまくやってくれました」と高田のリードをたたえている。オリックスには中鳴聡という12球団随一の強肩捕手がいる。それをあえて、高田を起用したのは、リードの良さだけでなく、巨人を追われた者の意地に賭けたところがあったのだ。
仰木は優勝決定直後の合同記者会見で「このシリーズのターニングポイントは第1戦目だった」と答えている。そして「リーグ優勝をしたときよりも、さらに選手たちが頼もしく成長してくれた」とも言った。
仰木マジックにはまった巨人はなす術もなく敗れ去ってしまった。思えば昨年、ヤクルトに敗れた時も、1勝するのがやっとだった。それを考えたとき、自分が使い切ったナインがなんとも大きく、頼もしく見えたことであろうか。
「まわりの人は、仰木マジックなんて言いますが、マジックなんて何もありません。正攻法でオーソドックスそのものです。今までは持久戦になると自分からこけていたチームが、今年は、相手が転ぶまで持ち堪えられるようになりました。巨入がどうのと言う前に、ウチの選手が自分の仕事をきっちりとやってくれたということです」
悲願だった日本一の栄冠を手にした仰木監督はニッコリ笑って言った。
「これで毎日酒を飲んでも、後ろ指さされないだろうな」
ちょっぴり不良で形に拘らない男が、なんとも照れ臭そうに目を細めた。
「こんなに幸せすぎて大丈夫かな」