創刊40周年を迎えるスポーツ総合雑誌『Sports Graphic Number』のバックナンバーから、
球団ごとの名試合、名シーンを書き綴った記事を復刻。2020年シーズンはどんな名勝負がみられるのか。
1998年横浜 日本一
佐々木主浩 「頂点をかみしめる」
text by Osamu Nagatani
シリーズ前から、西武ベンチは「佐々木のフォークの握りはわかる。そのときに盗塁すれば成功率は高い」と判断していた。三塁コーチの伊原春樹は球種を見破る名人だ。第1戦、打者・高木浩之の2球目、佐々木の握りはフォーク。ここだと思ってサインを出した伊原コーチだったが、投げた球は141㎞のストレートだった。谷繁は三塁・進藤達哉に素早く送球し、盗塁を試みた二塁走者の高木大成はタッチアウトとなってしまったのだ。
谷繁は「佐々木さんは、〝走ったら思いっきり投げてくれ〟と言っていたから、走ってくることを知っていてストレートを投げたんだと思うんですよ」と解説したが、ストライクが入らない、病み上がりの佐々木が仕掛けたワナに名ベースコーチもはまり、西武の反撃の糸ロは断ち切られてしまった。
「調子がいいとか悪いとかじゃない。高い年俸をもらっている以上、どんな状態でも抑えなければいけない。ボールが走っていなければ、別の部分でカバーすればいいし、ボールがキレているなら余計なことを考えず、〝打てるもののなら打ってみろ〟という気持ちで投げています。いいとか悪いとか言ってられない場面ばかりですからね」
今シーズンを通じて佐々木を支えてきたものは何だったのか。個人の記録ではないだろう。優勝したいという気持ちだけなのか。
「昨年は、サイパンの事件で色々言われたり書かれたりしたことに、自分の腕で見返したいという気持ちも強かったし、父親の死というのもエネルギーになった。ただ今年は数字にこだわってみたいと思っていました。昨年は〝防御率0点台〟なんてあいまいな目標を言ったけど、今年は防御率0.00。1点もやらない。昨年は3本打たれた本塁打も、1本も打たせない。無敗にしたい。とにかく全てゼロという目標にした。それを達成できれば、優勝も転がり込んでくると思っていたから」
その「ゼロ」が、佐々木の気持ちの張りになっていたようだ。昨年8月16日以来続けている無失点記録に、佐々木の体調管理をすべて受け持っている大谷幸弘トレーニングコーチは「打たれて楽になったら?」と声をかけたが、ムキになって「冗談じゃない」と否定していた。だが無敗記録が途切れる日がきた。7月7日、父親・忠雄さんの命日に、東北福祉大の後輩である阪神・矢野輝弘に打たれ、敗戦投手になった。「神様」として祭り上げられてきた男は、因縁に弱いという伝説ができてしまったが、それ以降も精神的に切れなかったのは、佐々木の佐々木たる所以である。
権藤監督は「ありゃ、別格です」と言って、本人に移動や練習の管理まで任せている。シリーズ第5戦の移動日、練習が免除になったはずの佐々木が、横浜スタジアムにやって来た。その理由は「みんなが練習しているから」だった。そんな佐々木を見た権藤監督が「アイツは大人になったよ」とつぶやいた。
「シーズン中、一番苦しかったのは、7月上旬頃だったかな。負け投手になったときは親父が“打たれて楽になれよ“って言ってくれたんだと思うけど、精神的にも肉体的にもしんどかった。後半戦はそんなことを言ってられなかったし、〝優勝するんだ〟と思って投げていたから、体の疲れは精神力でカバーできたと思う。前半戦、何度か打たれたり走られたことで、こっちも工夫できたから、それはそれでプラスだった。ただ1本塁打(中日・大西崇之)だけは余分だったと思う。後半戦、技術的に特に変わったことはなかったのに、あれだけやれたというのは、ファンの後押しによるものだと思う。すごかったもの」
そう言う佐々木は、マジック3からヤクルトに3連敗したとき、初体験の〝産みの苦しみ〟を味わったのではないだろうか。そのときブルペンで何を考えていたのか。
「最初のうちは、〝今日ダメなら明日行こうぜ〟と考えていた。そのうちだんだん金縛りみたいになってきて、〝このまま勝てなくなるかも〟って。それだったら、毎試合先制点を取られていたので〝オレ、先発で行くゾ〟なんて言っていたけど、それもシャレにならなくなってきてしまって。胴上げはもう横浜じゃなくても、敵地でも移動日でもいいから、早く決めて重苦しさから逃れたいって思いました。でもせめて日本一の胴上げが横浜でできてホッとしています。応援してくれた人たちに思返しできたって感じです。今年一番感じたのは、自分ひとりの力だけでは勝てないってことですかね。あの応援の力はすごいですよ」
権藤監督は、「優勝したら大リーグに行かせてやる」と開幕前、佐々木に言った。〝38年間優勝がなかったのに、連覇したいなんて欲をかいていてはダメだから〟という気持ちからだったのだが、すべて終わって権藤監督が言った言葉は「優勝ってこんなにいいものなら、来年もやりたくなった」だった。そうなると連覇に必要な男を手放すわけにはいかない。
「横浜の中で育って、横浜でこれだけいい思いをした。なんかもう、〝横浜のもの〟っていう感じになってきた。だから自分一人の欲とか、希望だけではなんにもできなくなった」
佐々木は優勝によって、さらにひと回り大きくなっていた。