創刊40周年を迎えるスポーツ総合雑誌『Sports Graphic Number』のバックナンバーから、
球団ごとの名試合、名シーンを書き綴った記事を復刻。2020年シーズンはどんな名勝負がみられるのか。
2006年日ハム 日本一
新庄剛志 「最後のSHINJO劇場」
text by Tamaki Abe
新庄はタイガースのタテジマのユニフォームを着ていたころから目立つ選手ではあったが、今ほどの優れたパフォーマーではなかった。人気チームゆえの自己規制もあったし、プレーに自信を持てないでいた部分もあった。今のようなスタイルに自信を持ったのは、メジャーリーグでのプレー体験が多分に影響しているのだろう。
メッツに入団した新庄は、開幕デビュー戦でヒットを打ったし、ワールドシリーズにも日本人野手として最初に出場して安打を打った。最初の本塁打は本拠地の開幕戦だった。目立つ場面をさらうのは今と同じだが、それだけでメジャーは認めてくれない。パフォーマンスにしても同じで、変わった格好をする目立ちたがり屋は山ほどいる。そういう連中を見慣れているメジャーの中で、真に認められるのはプレーの質の高さしかない。
新庄のメジャーデビューは代走だった。一塁走者で出て、つぎの中飛のときタッチアップからスタートして二塁に進んだ。セオリーを破るプレーだったが、相手が新庄の脚を知らず、無警戒だったことを見ぬいた上での走塁だった。
ヤンキースとの交流戦では一塁に猛烈なスライディングを見せたこともある。併殺阻止がねらいだったが、それ以上に、ヤンキースにやられっぱなしのメッツのチームメイトの闘志を鼓舞するようなプレーだった。これにはヤンキースのジョー・トーレ監督も賞賛を惜しまなかった。
見た目の派手さだけではわからないクレバーなプレーやチームの士気を考えたガッツのあるプレーによって、新庄はチームの信頼を得ていった。
個性を出して目立つのはいい。しかしそれをみんなに認めさせるには、プレーの質を上げるしかない。それが新庄がアメリカで得た一番大きな教訓だったろう。
そしてファイターズではそれを思う存分実践した。お面をつけて登場したり、奇術師みたいな見世物を胸を張ってやれるのは、自分のプレーの質が伸間に認められる水準を保っているという自信の表れと見るべきだ。
リーグ優勝を決めたとき、新庄と並ぶチームリーダーである小笠原道大のコメントが印象的だった。
「シリーズに勝って、ツーさんを胴上げしたい」
ツーさんというのは新庄の愛称である。野球一筋の武芸者みたいな小笠原は新庄とは水と油と見られていた。実際、それほど親しいとも思えない。しかし、その小笠原をして、「胴上げしたい」といわせたのは、新庄のプレーの質が、表面的な観察以上にずっと価値があるということだろう。プレーオフや日本シリーズでの右ねらいの打ち方や果敢な走塁は、そのことをはっきり示している。
「新庄劇場」などと人はいう。「劇場」である以上、いつか幕は降りる。幕引きのタイミングを決めるのは演出家の仕事だろうが、この男は自分でそれを決めてしまった。しかも、まだシーズンという幕が上がったばかりの時点で。
本来なら「今年で辞める」と公言した選手が、シーズン中ずっと試合に出つづけたばかりか、プレーオフ、日本シリーズにまで出場するなど考えられないことである。それだけやれるなら引退などする必要はないし、やれる力が残っているのに引退するのはファンにもチームにも失礼だ。
4月に新庄が引退を表明したときは、正直、軽率なことをするなあと感じたし、シーズン中に活躍する場面を見て、もったいないと感じもした。
だが、プレーオフ、日本シリーズでじっくり彼のプレーを見て、引退が妥当なもので、タイミングもこれしかないと納得させられた。鏡を見るのが好きな男は、さすがに自分のことがよくわかっている。
プロ野球選手としての新庄を支えてきたのは脚と肩、特に脚の方である。外野フライで一塁からタッチアップして二塁を奪ったメジャーデビューのことは紹介したが、あのころ、つまり5年前の新庄の脚力はイチローと肩を並べるものだった。その強靭な脚力、細くスマートではあるが恐ろしくしなやかな下半身が、レーザービームといわれる送球の原動力にもなっていた。
その脚力に明らかに衰えが見えるのだ。日本シリーズで驚く場面があった。第3戦の7回表の守備である。谷繁元信の打席で、新庄は打球の傾向に合わせて右中間寄りに大きく守備位置を変えていた。しかし谷繁の打球は二遊間を抜けて中堅の定位置付近に飛んだ。全盛期の脚力があれば、おそらく新庄は打者にふたつ目の塁を与えまいと猛然と打球に向かい、処理したはずだ。しかし、このときの新庄の追い方にはかつての迫力はなかった。猛然と打球に突進し、すばやく捕球して二塁にみごとな送球をしたのは左翼の守備位置にいた森本稀哲だった。残酷な新旧交代の場面だった。
この試合、ベンチは9回、新庄に代えて守備要員を送った。守りで交代するのだから、よほど脚の状態が悪いのだろう。太ももやアキレス腱の故障は持病となり、ほとんど回復不能になっているという。
新庄がそのことに特別な悲壮感を持っているとは思えない。ただ、今の脚力では新庄らしさを見せられないことはよくわかっている。新庄剛志が新庄剛志を見せられなくなったこと。引退の理由はそこにある。
かつて王貞治は、引退に際して、「王貞治のバッティングができなくなった」と語った。これはプロの選手すべてに当てはまる至言だろう。プロなら誰もが自分の「らしさ」を自覚している。新庄のような選手はなおさらだ。そして「らしさ」が見せられないと感じるときが、ユニフォームを脱ぐときなのだ。
野球のつぎに新庄がなにをするかは知らない。なにをしてもわれわれを楽しませてはくれるだろう。しかし、その魅力も、あくまでも野球が元になって形作られたものであることを忘れてはなるまい。われわれが愛し、新庄自身が誇りを抱いていたのも、やはり野球選手としての新庄剛志なのである。