創刊40周年を迎えるスポーツ総合雑誌『Sports Graphic Number』のバックナンバーから、
球団ごとの名試合、名シーンを書き綴った記事を復刻。2020年シーズンはどんな名勝負がみられるのか。
2006年日ハム 日本一
新庄剛志 「最後のSHINJO劇場」
text by Tamaki Abe
「踊るようにホームインした」と書くと、それは誇張した比喩的表現になるが、新庄剛志の場合は、比喩でも誇張でもなく、それが正確なリアリズム表現になる。プレーオフ、日本シリーズの新庄は毎日踊っていた。ダンス、ダンス、ダンス!
日本シリーズ第1戦の6回表、新庄は右中間を破る安打を放った。二塁には滑り込まなくてもセーフになりそうなタイミングだったが、新庄はあえて滑り込んだ。それもかなり遠い場所で踏み切って、空中遊泳するように手をひらひらさせながら。いろいろな滑り込みを見てきたが、あんな派手な滑り込みははじめて見た。
この日の新庄は第1打席が死球、第2打席が犠飛、第3打席が滑り込みの二塁打、第4打席はドラゴンズの井端弘和に好捕された三遊間のヒット性のゴロだった。第2打席の犠飛は同点に追いつく貴重なものだったし、二塁打はダレ気味の試合を活性化させる派手なもの、第4打席のゴロは、抜けていればチャンスが一気に広がるというあたりで、井端の好守備も新庄によって引き出されたといえないこともない。
4打席全部の内容が違い、しかも試合の帰趨になんらかの形でからんでいるところに新庄の真骨項が見て取れる。4打数4安打しても、試合の結果とはあまりかかわりを持たない選手も珍しくないから、記録上は2打数1安打1死球でも価値は高い。こうした印象的なプレーを、すべて意図してやっているはずはないのだが、なんとなくそう思わせてしまうものが新庄にはある。
プレーオフのとき、北海道のラジオが面白いデータを紹介していた。今年のレギュラーシーズン、ファイターズのホームゲームで4万人以上の観衆を集めた試合は8試合あった。札幌ドームは4万3000人あまりがリミットだから、ほぼ満員といってよい。当然声援を受けたファイターズは強く8試合して1度しか負けなかったが、中でも新庄の成績は際立っていた。29打数10安打、打率にして.345を記録したというのだ。シーズンの打率が.258に過ぎない男が、満員の観客の前となると、打率を1割近くも上げる活躍を見せる。人目の多いところで強い。実にわかりやすいというべきか。
札幌も名古屋もともに超満員になったプレーオフ、日本シリーズを通して、新庄が活躍するのはデータからいっても当然だったのである。
テレビを見ていた人からのまた聞きだが、ゲスト解説に出た清原和博が、新庄を評して、「オールスターに出ているみたいだ」といっていたという。さすが清原、鋭い観察である。そう、プレーオフ、日本シリーズは、新庄にとってオールスターと同じなのだ。
普通の選手にとって、プレーオフ、日本シリーズとオールスターとは対極に位置するものである。プレーオフ、日本シリーズは優勝のかかった究極の真剣勝負、一方のオールスターはリラックスしてプレーするお祭りというのが多くの選手の位置付けだろう。ところが新庄にとっては両者はほとんど差がない。満員の観客が集まり、多くの報道陣が押しかけ、ひとりひとりの選手に集まる視線が、レギュラーシーズンの数倍になる。日本シリーズもオールスターも、試合の日、日本でプロ野球がおこなわれているのはその球場しかない。大観衆の集まる試合で抜群の働きを見せる新庄にとって、この状況は本質的に同じもので、どちらが真剣勝負だとか、どちらがお祭りだとかいった違いはないのだ。
だからプレーの質も変わらない。オールスターでも日本シリーズでも、ちゃらちゃらしているといえばしているし、真剣にやっているといえばそうともいえる。いや、真剣にちゃらちゃらしながら全力プレーを見せるのが新庄のスタイルなのだ。一昨年のオールスターで見せたホームスチールと、今年のシリーズ初戦のダイビングみたいなスライディングは、本質的に同じものである。
そういう新庄流は、野球の保守本流からは評判が悪い。ある意味では新庄の師ともいえるゴールデンイーグルスの野村克也監督は、新庄の潜在能力には高い評価を与えながら、そのパフォーマンスも含めたプレーぶりにはいつも苦言を呈してきた。「白い歯を見せすぎる」と日本シリーズの新庄のプレーぶりを批判したスポーツ紙のコラムもあった。
しかし、そうした批判は日本シリーズとオールスターを対極にあると見ているからで、新庄のように同じ平面にあるととらえる人間には、おそらくそうした声は届かないだろう。
普通の選手の中にも、日本シリーズとオールスターを同じものととらえる感性の持ち主はいるかもしれない。しかし、そうした選手の多くはオールスターではリラックスしすぎて手抜きのプレーになり、日本シリーズでは緊張しすぎて本来のプレーができない選手が圧倒的ではないだろうか。日本シリーズとオールスターを同一視し、本質的に変わりないプレーを見せられる選手は限られている。昔でいえば長嶋茂雄、現役なら新庄の本質を鋭く見ぬいた清原和博など特別な選手たちである。普通の選手がやってみたいと思いながらできないことを、ハリウッドスターみたいな白い歯を見せながら、やすやすとやってのける男。それが新庄剛志なのだ。