創刊40周年を迎えるスポーツ総合雑誌『Sports Graphic Number』のバックナンバーから、
球団ごとの名試合、名シーンを書き綴った記事を復刻。2020年シーズンはどんな名勝負がみられるのか。
2004年西武 日本一
伊東勤vs.落合博満 智謀と意地と。
text by Osamu Nagatani
一方、伊東監督は「コーチは選手と一緒になって動けないといけない」という持論に基づき、チームのスタッフを若手で固めた。実は監督就任直後、堤義明オーナーから清原の復帰を打診されたが、「チームが若返りを図ろうとしているのに、逆行するのはおかしい」と突っぱねたことがあった。シリーズ第1戦の中断時に見られた伊東監督の「筋」を通す姿勢は、このころから一貫していた。
そんな若いコーチ陣の中でたった一人、ナインから〝おジイちゃん〟と呼ばれ、親しまれている長老がいる。土井正博ヘッド兼打撃コーチである。清原の西武入団時にコーチを務め、松井稼頭央(メッツ)のスイッチヒッター転向の時にも立ち会った名伯楽。そして、今度の役目は中島裕之ら若手を一人前に仕立てることだった。還暦を超えてなお、キャンプで自らバッティング投手を買って出ての熱心な指導。若手が心打たれないはずがない。
「僕らのために一生懸命にやってくれる姿を見て、早く一人前にならなければ、と本気で思った」(中島)
こうして、今季から背番号を「3」に代えた中島は、レギュラーとして一人前の成績を残した。しかしその陰で、土井ヘッドは伊東監督に「必ず監督に恩返しをするときが来ます。だから、それまでは我慢して使ってやって下さいよ」と頼み込んでもいた。名コーチと青年監督、二人の息が合ったことで、新しい看板選手が誕生した。
しかし、伊東監督は今年を単に若手育成の年、と位置づけていたわけではなかった。
「松井稼頭央が抜けて、カブレラも故障で復帰が遅れている。そういった中で、2、3年後を見据えたチーム作りをするつもりなんかない。今季から勝負をしていきたい」
伊東監督は2月のキャンプでそう語っていた。そしてその言葉通り、ペナントレースでの2位、そしてプレーオフでダイエーを下してのパ、リーグ優勝を勝ち取ったのである。
伊東監督は、西武の黄金時代からマスクをかぶり、8度の日本一に輝いている。もちろん目指すのは、「守備を中心にした本来の西武野球」。まずは捕手・伊東に代わるべき正捕手の育成が課題となった。野田と細川亨に対し、自らバットを持っての居残り特守を連日行った。中日・落合監督が「レギュラーの一人が欠けても、私は何とも思いません。代わりはいつでも出てくるものです」と平然と構えていたのとまさに好対照で、伊東監督にはそんな余裕はなかった。捕手だけではない。1、2番育成も急務だった。幸い佐藤友亮、赤田将吾が大きく伸びた。松井稼がチームを去り、2番の小関竜弥がスタメン落ちする中での「ひょうたんからコマ」だった。
「赤田は内野手をやっていたからスローイングが早いし足もある。外野が故障者ばかりだったので守らせてみたら好結果が出た」(清水雅治守備走塁コーチ)
当初は土井ヘッドの特訓メンバーに入っていなかった佐藤は、中島や赤田が練習を行う時、必ず隣のケージに入ってマシンを打ち続けた。
「同じレベルの若手が揃っていたから、調子がよければ使ってもらえると思った」(佐藤)
さらに土井ヘッドは、赤田には「左打席と右打席は別人間と考えて、二人分の練習をしろ」と言い続け、佐藤には「赤田が二人分やっているのにこの練習でいいのか。今泣くのか、将来泣くのがいいのか」と尻を叩き続けた。新1、2番コンビはこうして誕生した。
その他、故障で復帰が遅れた力ブレラの穴を埋めた貝塚政秀も、急速に伸びた者のひとり。「チャンスを与えられたことで、必死になれた」と本人も言うように、伊東監督とコーチ陣は決して「ないものねだり」をせず現有戦力にうまくチャンスを与えることでチーム内の活性化に成功した。チームリーダーの和田一浩もその手腕をこう評価している。
「監督は現役時代から僕たち選手をずっと見てきたし、性格もよく知っている。コーチ陣も若い選手を上手に競い合わせていた」
秋季キャンプの時から、新しい発見を日々繰り返して戦力を整えてきた落合監督。一方長い間西武というひとつのチームに在籍し、じっくりと選手を観察し新しい花を咲かせた伊東監督。〝目玉焼きを食べるとき、一番おいしい黄身から食べる〟のが落合だとすれば、伊東は〝黄身は最後まで残して食べる〟タイプだろうか。その考え方の違いが、シリーズでの投手起用にもあらわれていた。
「短期決戦では先発投手が三人いれば十分、一番いい投手に数多く投げてもらうためには、誰もが納得できる初戦だろう」(落合監督)ということで、中日は初戦に川上憲伸をぶつけてきた。一方の伊東監督は、松坂大輔を第2戦に温存した。伊東監督の現役時代、特に森祇晶が率いた黄金時代の西武は、シリーズで「2戦目重視」の戦い方をした。その踏襲ともいえる。森も捕手、伊東も捕手、常に負の考え方に立って采配をするという「捕手型」人間の性格がここで出たともいえる。
しかし、面白いことがある。落合監督は、伊東監督を「アウトコースを主体とした当り前のリードをする男」と分析し、伊東監督は落合監督を基本的にセオリー通りにやってくる。ギャンブルはあまりしてこないタイプ」とみている。つまり、どちらも相手のことを「わかりやすい」と思っているのだ。
「急に特別な事をやろうとしたって、できるわけないだろ」
落合監督のこの一言を、そっくりそのまま伊東監督も胸に秘めている。それぞれがそれぞれのやり方で築き上げた両チーム。激闘の末、「普段着野球」を貫くことができた方が、日本一の栄冠を勝ち取った。