二宮清純コラムオリンピック・パラリンピック 奇跡の物語
~ビヨンド・ザ・リミット~
2021年7月5日(月)更新
バルセロナで転倒の谷口浩美
金メダルへの秘策があった!?
オリンピックは数々の名言、迷言を生み出してきました。「コケちゃいました」というコメントで、一躍、有名になったのが男子マラソンの谷口浩美選手です。
約30秒のロス
1992年バルセロナ五輪、男子マラソンは谷口選手、森下広一選手、中山竹通選手の3人が出場しました。
8月9日、スタート時の気温は31度、向かい風約5メートル、快晴。前年9月、東京での世界選手権で、日本人として初めて優勝した谷口選手にはメダルの期待がかけられていました。もちろん、本人もその気でした。
ところが、20キロ過ぎの給水地点でアクシデントに見舞われてしまったのです。
「僕はスムーズに水が取れるようにテーブル側を走っていました。右手でうまくつかんでレースに戻ろうとした瞬間、歩道側を走っていたモロッコの選手が急にテーブル側に寄ってきて、僕の左足のかかとを踏み、靴が脱げてしまったんです」
――モロッコの選手の存在には気付いていたのか?
「そばにいるのは僕もわかっていましたが、まさか急にこちら側に来るとは思わなかった。日本人の場合だと、順番待ちではないですが、状況を見て後から取るなど配慮をします。ただ、その選手は“水を取らなきゃ”と必死だったのでしょう」
シューズが脱げたからといって、まさか裸足で走り出すわけにはいきません。シューズを拾い、履き直すのに、約30秒もかかってしまいました。
初めて出場するオリンピックで、まさかのアクシデント。車でいえば“もらい事故”のようなものです。「運がなかった」で済まされる話ではありません。
それでも谷口選手は諦めませんでした
そこから徐々に順位をあげていき、8位入賞を果たしたのです。旭化成の後輩である森下選手は銀メダルに輝きました。
実は谷口選手、コンディションはよくなかったそうです。
モンジュイックの下り坂
「3カ月前に疲労骨折して、1カ月間入院していたんですよ。何とか大会には間に合わせてスタートラインには立てたんですが……」
さて、先に紹介した「コケちゃいました」というコメントは、試合後のインタビューで口にしたものです。谷口選手、アクシデントのシーンはテレビに映っていないと思っていたようなのです。
「ですから、まず単純に事実関係を言っただけなんです。皆さん、僕が転んだことを知らないと思っていたので……。それに8位じゃ申し訳ないじゃないですか。それで“コケちゃいました”と言ってしまったんです」
谷口選手の朴訥な人柄とも相まって、この言葉は一躍、流行語となりました。帰国後の人気は、ある意味、銀メダルを獲得した森下選手以上でした。
「たった一言が、まさかあんな大ごとになってしまうなんて、思ってもみませんでしたよ」
後日談があります。このレース、優勝したのは韓国の黄永祚選手でした。帰国後、谷口選手はレースをビデオで見て驚きます。黄選手が森下選手を引き離したモンジュイックの丘の下り阪(40キロ手前)、そこは谷口選手も仕掛けようと考えていたポイントでした。
「3月にカタルーニャマラソンというレースがあり、僕と森下は視察に行きました。オリンピックとほぼ同じコースだったからです。スピードでは森下に勝てない。どうすれば彼に勝てるか。森下を諦めさせるには、モンジュイックの丘を1回上って下る、40キロ手前の地点しかないと考えていました。もちろん森下には内緒です。そのポイントで黄が勝負をかけたのです。もしシューズが脱げずに、僕があの場所にいたら、僕が行く、黄が行く、森下が行く、という展開になっていたと思います。そんな勝負がしてみたかった。その気持ちがあったからこそ、次のアトランタ五輪まで頑張れたんだと思います」
この世にオリンピックが続く限り、谷口選手の“名言”も語り継がれるはずです。
二宮清純